詩人しんごによる、記事へのアンサーポエム

10年来の友人である、詩人の「しんご」が、茨城からはるばる田川の「いいかねPalette」まで来て、長期滞在してます。

彼の特技は、即興詩です。
人やものをみると、即座に詩をかけるという、類まれな才能をもっています。

さきほど、しんごに
「お前、俺のブログ読んで、その記事について詩を書いたりできるん?」と聞いたところ、
「うん、できるよ」
…とのことでしたので、お言葉に甘えて書いてもらいました。
制作時間、全部で約30分ほど。すげぇ。

↑に対する詩はこちら。

「矛盾」

望んでるけれど
望んでない
矛盾性の行動に
僕らは理由をつけて
正論をつけている。

ただ
納得だけなら
矛盾だけでもいいけれど
結局
着地点が欲しいんだね。

伝わることに
整頓したいんだ。
伝わらないことにも
どこか安心して。

矛盾な心に
正論を投げかけては
正当な言葉に
昇華してるんだね。

単純に
答えにしたいのか
単純に
理由をつけたいのか

ただ僕らは
人間として
言葉を
整理したいだけなんだね

#矛盾という伝え方の考察

↑に対する詩はこちら。

「パズル」

言葉というパズルに
ついて語るなら
僕らは往々にして
思考というピースを
さ迷わせているんじゃないか。

ピースは
合致することのほうが
きっと少なくて
高度になればなるほど
欠片が見える

美しい
羅列になればなるほど
歪になっていく
歪になればなるほど

世界は歪んでいく
歪んだとしても
そこに気づけたとしたら
それはそれでいいけれど

きっと僕らは
常に合理的なピースを
探している

#言葉という高度なピースについて

↑に対する詩はこちら。

「執着」

形や思い出に対して
愛があるなら
そりゃ苦しむさ。
だってそれが
思い入れというものだもの。

生きてるうちは
最低限の衣服や食事と
住む場所があれば
いいけれど。

それだけでは
何もならないのが
人間だもの。
僕らは抜け殻じゃなくて
心があるから。

大切なのは
どうしたいかだけで
執着するのは
生きてる証なのかもね。

執着が痛みに変わったら
きっとそれが
成長に変わるはず

#執着という名前の置いていくための愛情について

↑に対する詩はこちら。

「習慣」

習慣だから
これでいいんです。
変革を行なわないことの
理由にするには
最適な言葉でしょう。

慣れはある意味
麻薬のようで
あらゆる
正当性を内包している
そんな言葉です。

惰性の成長は
ただの退化になりえる
そんなことを思います。

それで
いいんですかね。
それで
いいんですかね…。

大切なのは
習慣を変えるだけの
変革だとおもいます。
君もぼくも…

#慣れという名前の打開について

↑に対する詩はこちら。

「好きなこと」

表面上はそう考えられても
好きなことではないものも
沢山あるわけで
それでも好きじゃなくても
必要とされるもんはあるわけで。

簡単に言われても
困惑することもあるわけだから
僕らはやっぱり
簡単には決めない方が
いいと思うんです。

生きてないといけないから
やることも沢山あるわけだから
僕らは簡単に決めずに
生きたらいいと思うんです。

喜ぶものだとしても
好きになるってことは
別なことだから。

#好きなことは必ずしも喜びには繋がらないということ

↑に対する詩はこちら。

「マネジメント」

怒りは
持ちえることは
禁忌ではないし
正当な怒りであれば
納得するもんだ。

まず理不尽さに
理由をつけるのやめよう。
怒りで熱をもったままでは
なにもならないから。

理由を遵守しよう。
それはとても大切だから。
冷静さを纏えば
それは怒りではなく
正当な対話になるから。

#正当な怒りは対話と同意義になることについて

↑に対する詩はこちら。

「親」

親になったことはないから
簡単にはいえないけれども
父母の差は必ずどこかにあって
そこを考え出すと
きりがないから。

正しいことなんて
必ずしもそれが
全てのアンサーとは
限らないから

答えを求めるだけでも
それはけして
ないから

父母の違いを楽しむのも
また大切なのかな

#父母の違いについて

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