新しい環境になるたびに、簡単に「使いにくい・わかりにくい」という表現をする人達がいます。
たとえば、ソフトウェアがアップデートされて見た目がガラリと変わったとき。
または、ハード機がリニューアル発売されて、ボタン配置などが変更されたとき。
リアルな世界でいうと、施設の案内表示が変わったときなんかも該当するでしょうか。
でも、果たしてそれは、本当に「使いにくい・わかりにくい」ものでしょうか。
もしかしたら、あなたが「慣れてない」だけの可能性もあります。
生まれて初めてPCを手に入れたのは2000年。
知り合いに組んでもらった自作PCで、OSはWindows 98 SEでした。
それから16年間はガッツリWindowsユーザーでした。
その後、自分で立ち上げた会社の全社員のうち、僕以外全員Macに移行していきました。
最後の一人になるまで抵抗していたんですが、やはりOSの違いによる社内共有ファイルの互換性の不具合に耐えきれず、
2016年の1月に、メインPC環境をiMacに移行しました。
完全移行前にしばらくMacBook AirとWinデスクトップ機の二刀流の時期はあったんですが、メイン環境をガッツリ変えた瞬間は、やはり大きく戸惑いました。
ハッキリいうと、当時の僕にはMacは使いづらかったです。
直感的に手が動かない。
いつもクリックしていた場所にボタンがない。
ショートカットキーが全く違う。
簡単な設定項目ですら、どこにあるのか一つずつ時間をかけて探さなければならない。
当時メインの仕事だった音楽制作において、パソコンの操作性は、超重要です。
思うことを形にする、つまり、
頭の中にあるコンテンツを自分の両手というインターフェースを通じてPCに入力していく作業なので、
自分の両手が自由に動かないということは、あきらかにそこが作業全体のボトルネックになりますし、そのせいで作業の血流が悪くなり、発想そのものにも影響してきます。
それでも、意地でもWin機を使って作業することはしませんでした。
なぜなら、「Macが使いにくい」わけではなく、「まだMacに慣れてないだけ」だと知っていたからです。
そうして1ヶ月ほどMacだけを使い続けましたが、あるときどうしてもWin機でしかできない作業があり、
久しぶりに電源を入れ、Win機を触ることになりました。
久しぶりにWin機を触る前の予想としては、
長年同棲生活を続けたが別れてしまい、しばらく別々の生活をしていたのだが、ひょんなことから再会した彼女が久しぶりに作ってくれた味噌汁を飲むときのように、
「あぁ…これこれ、このいつもの感じが最高に落ち着くよ。俺にはやっぱりコレしかないんだな」
といった感情になることを予想していました。
(ちなみに、人生において彼女との同棲経験は一度もありません。)
しかし、現実は真逆でした。
マウスが使いづらい。キーボードを押し間違えまくる。
そうやって、操作ミスを連発してしまいました。
その時僕は、16年間使い続けてきたWin機を、たった1ヶ月離れただけで、あろうことか「使いにくい」と思ってしまったのです。
16年の歴史が、たった1ヶ月で、です。
僕はそのとき、人間の「慣れ」の恐ろしさを感じてしまいました。
今、これを読んでいるほとんどの方は、そこそこ便利でそこそこ満足いく生活を送っているのだと思います。
そうではない方も、そこそこ今の状況を受け入れて、そこそこ嫌な気持ちや不安な気持ちになりながら、なんとなく現状を受け入れながら毎日を過ごしているのではないでしょうか。
そんな時に、新しいものが入ってくると、だいたいは「拒絶反応」がでます。それがたとえ、自分にとって良いものであってもです。
自分のスタイルを大きく変える可能性があるものであるほど、その拒絶反応は大きくなります。
そのとき、「拒絶反応が出たのだから、やめておこう」となるケースも多いと思いますが、僕の考えは上に書いた通りです。
拒絶反応の大小と、入ってきたものが良質か悪質かどうかは、関連性がない場合が多いです。
…というか、むしろそういったケースの方が多いのでは?とすら思います。
拒絶反応の大小は、「現状維持機能を壊すものかどうか」のほうがより大きく関係していると思います。
上記の理由で、
本質的な「使いにくい・わかりにくい」と、「ただ慣れていないだけ」を、瞬時に判断するのは、慣れてない人にとっては結構難しいです。
慣れの問題を超えて本質を見極められるようになるためには、新しいものに飛び込む体験の数を増やして、感覚を鍛えていくしかないのではないでしょうか。
余談ですが、ソフトを使うときに、初期設定をガチガチにしまくって自分仕様にする人がいますが、僕は、出来るだけ設定はデフォルトのままで、体のほうを慣れさせるようにしてます。
理由は、「デフォルト設定が一番使いやすい設定にされている場合が多いから」です。
もちろん、長年使っていれば、使う機能とそうでない機能がわかってくるんですが、“ギリギリまでデフォルトでいってやるぜ”という、ちょっとしたバイアスを自分にかけているかどうかは結構大事です。
Windows XPが出てきた時に、インターフェースが大きく刷新されたことによって戸惑うユーザーのために、Windows2000っぽいクラシック表示機能が用意されてましたが、
そんなのを使い出すともう、時代の流れについていけないオッサンだ!…と思って、意地でも使いませんでした。
皆さんのまわりにも、似たようなケースにおける、似たようなオッサンがいませんか?
全然日常をアップデートできておらず、する気すらも感じられないオッサンです。
まぁ、なぜ人間に現状維持機能があるのかというと、
「わざわざアップデートしなくても現状死んでないので、生命維持のためには変わらないことがひとまず正解だ」という意味だと思ってるので、
「変わる or 変わらない」の是非は結局のところ死ぬまでわかりません。
もっと考え出すと、太古より人類がアップデートしてきた先が今の地球だとすると、今の地球の姿が正解か?といった規模の話になり、
そうなるともっとわかりません。
ただ、僕個人的には、なんとなく、
このスピードで変わっていく現代や、これからの未来に生きる上で、“変わらないこと”は、より破滅に向かう道だ。
…という気が、一応、してます。
多分。
「軽い自己変革を日常の中で習慣化できるか」ということ。
さらには、習慣を意図的に作り出しながら、ときに習慣に立ち向かい、ときに習慣を乗りこなすこと。
習慣とは、深層心理の自分からの洗脳行為です。
深層心理をいかに味方にするか。
「習慣を自在にコントロールすること」は、最近のテーマの一つです。
ちなみに、あれから3年経った今は、Macが手に馴染んで、超絶使いやすいです。
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