「思考的五分間」鮭冬葉事変

今、僕には会社の部下が一人います。 彼を、社員Aとします(名字が青柳なので)。 この社員Aは、僕の3つ下の地元の後輩でかつ、僕の友人の弟であり、もうかれこれ24年ほどの付き合いになります。 Aには全幅の信頼を置いてるので、僕のことは公私ともにほぼ全て伝えるようにしてますし、仕事上の守秘義務に関わる機密事項以外は、彼に隠し事をすることはありません。 さて、そんなAから、一通のLINEメッセージが届きました。
「きょんちゃんの鮭とば食っていい??」
よくわからないと思いますので、状況を説明します。 僕は、Aからきょんちゃんと呼ばれています(名前がキヨノリなので)。 “鮭とば”とは、コンビニに売っている鮭の干物のことです(→これ)。 タイトルにも書きましたが、漢字で「鮭冬場」と書きます。 僕は現在ダイエット中で、基本的に夜一食しか食べないルールにしており、鮭とばは、どうしても空腹を我慢できない日中の食いつなぎ役として、僕が会社のスタッフルームに買って置いていたものです。 そして、僕は現在出張中で数日間会社を留守にしています。 そんな状況を頭で想像しながら、続きをお読みください。 まず、このAからのメッセージに対して、僕は強烈な違和感を感じました。 そして、すぐに返信することなく、しばらくその違和感の原因について考えました。 ここから、思考の中身になります。
最初に自分に問いかけたのは、「俺は、鮭とばを購入した金が惜しいからAに違和感を感じているのか?」というものです。 しかし、それが間違いだということはすぐに気づきました。 まず、そもそもAには普段からよく飯を奢っており、その金額に対して、鮭とばの金額は少な過ぎます。 さらに言うなら、Aは会社にとって黒字社員です。 僕が一切手や口を出さなくても、勝手に会社に自分の給料の数倍の売り上げを作ってきます。 そんな彼に対して、たった400円の鮭とばをケチりたいといった感覚は全くありません。 次に考えたのは、「時間と労力」についてです。 Aに鮭とばを食べられることで、僕に鮭とばを買いに行くというタスクが追加されるのが嫌なのか? …否。 これもすぐに違うことがわかりました。 僕は車移動の生活なので、コンビニなど寄ろうと思えばいくらでも寄れます。次会社に行く前に買っていけばいいだけです。 「では、この違和感の源なんなのだ?」と思考をさらにすすめると、一つの答えにたどり着きました。 「道理」です。 他人が所有する保存食に対して、「食っていい?」と聞く行為は、 カートンでタバコを買って保管している人間に対して、 「タバコいっぱいあるから、一箱もらっていい?」 と聞くのと同等ですし、 さらに例えるなら、テーブルの上に現金が置かれていたとして、「現金使ってないならもらっていい?」と聞くのとも同等です。 鮭とばは、僕にとってただの酒のツマミや嗜好品ではなく、意地でもダイエットを存続させるために買い蓄えていた、「機能を持った道具」であるという前提条件のもと、 食う予定のある保存食は、ほぼ現金と同価値だと考えていたから、違和感を感じていたのだということに気づきました。 (皆様がこの考え方に共感できるかどうかという議論は、ここでは一旦置いておきます。) 僕は、「鮭とばの仕入れ値がいかに少額であったとしても、それを平然と言ってくるAの感覚に疑問をいだいていた」のです。 ただ、ここで僕の思考は終わりません。別軸からこの事象を捉え出します。 Aはいま会社にいて、俺はいま会社にいない。 Aは、今現在、NOW、即座に、鮭とばを食いたいのだ。 俺は逆に、今現在、NOW、即座に、鮭とばを食えない。 もし俺がノーといえば、Aはもしかすると小腹を満たすためにコンビニまで車を走らすかもしれない。 それは、世界全体の労働コストで考えると最適化されていないではないか。 じゃあ、Aは鮭とばを食っていいことになるのか? しかし、今回OKを出すということは、前例を作ってしまい、次回以降の似たようなケースもOKしていくこととなる。 それはどうだろう?ちょっと違うのではないか。 いや、それより何より、ここまで心悩ますくらいなら、俺の思考を停止させて、もう食わせてやったらいいんじゃないか? 可愛い部下が食いたいといっているから、食わせる。至ってシンプルだ。 …さらに考えます。 そもそも、A目線に立ってこの件を考えてみるとどうだろう。 上司の鮭とばが、棚に置いてあった。食いたいといったら、断られた。 さて。そんな上司を尊敬できるだろうか。 俺なら、こう思う。 「器小せぇーなコイツ」 そうなのである。 この俺の思考など一切伝わるはずもなく、客観的に表現されるアウトプットとしては、 「たった400円の価値の鮭とばを、ケチって部下に食わせなかった」と言う事実のみだ。 これはダサい。上司としては権威もへったくれもない。 …ただ、だからといって、自分の保身のためだけに自己の言い分や哲学を押し殺してしまっていいのか? 俺は、一つの生き方を決めている。 それは、「堂々と正直に生きること」だ。 そして、最も近い存在である部下のAに対しては、自己を全て包み隠さず、弱いところもダサいところも全て見せると覚悟を持って決めている。 それにもかかわらず、「ダサいと思われそう」だとか、「器が小さいと思われそう」だとか、そんなくだらない理由で、本音を隠して自分を取り繕って付き合っていく方がよっぽどダサいのではないか? いや、うーん、 あぁ、そうこうしている間に、時間は過ぎていくし、Aの小腹も減っていく。 何か返さねば、何かをとにかく返さねば。 …そうだ、とりあえず、「答えが出ずに悩んでいる様」と、「鮭とばを食われる事自体が嫌なわけではない」という2点を、一旦そのまま伝えよう。それしかない。 これがありのままの俺の姿だ。
以上が、Aより最初の連絡がきてから返信するまでの思考の流れです。 LINEの送受信履歴を見直すと、5分間くらいです。 その間、めちゃくちゃ真剣に考えました。 そして、身を削る想いで覚悟を決めて返したのが、以下の文章です。
正直、買い貯めしている保存食を食っていいか聞くのは、 カートン買いしているタバコをみて「いっぱいあるから吸っていいですか?」というのと同じでどうかと思うけど、 ここは難しい。 缶詰やタバコならアウトやけど、鮭とばやしな… しょうがない、食っていい。
以上です。 あぁ、ダサい。クソダサい。悩みすぎてブレブレです。上司として終わっています。 その後、Aからの返信メッセージが。
やややや!!やったー!!!!! ありがとうございます(TдT)!! 現品返ししておきますよ\(^o^)/やっほー!!!!
…このメッセージを送ってきたAの気持ちはなんとなくわかります。 まず、僕の軽くカマしてきた雰囲気に対して、敏感に察知した上であえてバカのフリをしてテンション高く返してきたことについては意図的でしょう。 鮭とばを食う食わん問題となどといった取るに足らないことをシリアスに処理すべきではないし、数パーセントほどは僕への皮肉も込められているでしょう。 そこまでは、とりあえず全部受け入れます。全部合ってるので。 正直、ここでAが取った対応としては完璧だと思います。 今考えても、これより良い返答はありません。さすがに優秀です。 ただ、僕はとにかくややこしい人間なので、さらにここから葛藤します。 引っかかったのは、「現品返ししておきますよ」の一言。 とにかく、Aとすると、今回のことがなかったことになるのがベストなはずです。 次回僕が出社するまでの間にちゃんと現状復帰できれば、つまり、自分が鮭とばを食ってなかった世界線と同じ状態に戻すことができれば、僕になんの迷惑もかかりません。 最初から、こんなやりとりがなかったのと同じ状態になります。 ただ、僕にはそれを承認できませんでした。 それを承認して、現品返しさせてしまうということは、「戻せば良い、戻さないのは悪い」といった論理を僕が認めてしまうことになります。 それでは、本意とずれてしまいます。 現状復帰を求めているわけではないんです。 そもそも、金や労力や時間が惜しいわけではないのです。 Aに、僕のこの気持ちをわかってほしいだけなんです。多分。 本来なら、ここまでの思考プロセスを事細かに書いてLINEで返信したいと思いました。 でも、本当にそんなことをしようものなら、もう終わりです。気持ちが悪すぎです。頭がイっている人としか思われません。いくらなんでも、それくらいは僕にでもわかります。 そこで、最終的にこう返しました。
いや、どうせまた買っていくき、買い足さんでいい! それをさせてしまうと、、また是非の判断がややこしなる…。 どこまで繊細に考えて、どこまで本音を正しく伝えるのか難しいね。 この件、ブログのネタにさせてもらうわ笑 俺のこの5分間の葛藤を、詳細に書くわ。
そして、この投稿に至っているわけです。
みなさんなら、どうするでしょうか? 今改めて思い出しながら考えても、僕には何が正解だったのかわかりません。 いつか、この答えが出る日がやってくる気もしません。 今後も、こんなことがあるたびに毎度悩み、自分の心と向き合い続けることが、唯一の正解なのかもしれません。… 続きを読む

串かつ屋のブラックボックス

二度づけ禁止の串かつ屋のソースに、もしかしたら誰かが二度づけをしているかもしれない…皆それはうすうす想像はしている。 それでもなお、 「二度づけなどしてないはず」だと自分を信じこませる。 これと似て非なるものとして、「どうでもいいので、あまり気にしない」が挙げられる。 この二つは、根本から全く違う。 前者は、「どうでもよくない」のだ。 にも関わらず、真実に蓋をしてブラックボックス化した状態で、丸ごと受け入れるという性質…というか機能が、日本人には備わっている。 表面化されていない問題は、存在しないのと同じ。 表面化した時にはじめて、存在することとなる。 もっと大げさにいうと、 二度づけされている状態と、二度づけされていない状態とが重なり合っている。 「シュレーディンガーの猫」状態である。 ※これ説明がむずかしいので、各自お調べを
…っと、さすがに行き過ぎたので話を戻します。 「知る由もないものは知らないままでそっとしておきましょう。真実を知ることが最重要事項ではないのですから。」 といった価値観を、社会の暗黙のルールとして受け入れる日本人の特殊性と愛らしさたるや。 そして、それでも、日本は回っている。… 続きを読む

筆ペン書をやってみた

2010年12月15日。
国立新美術館にゴッホ展を見に行ったあと、たまたま二階でやってた無料の書道展に足を運びました。
生まれて初めて、作品としての書道とじっくり向き合ってみた結果、「書道おもしろい」という結論に達した僕は、2日後の2010年12月17日、筆ペンでいろいろな文字を書いてみました。… 続きを読む