二度づけ禁止の串かつ屋のソースに、もしかしたら誰かが二度づけをしているかもしれない…皆それはうすうす想像はしている。
それでもなお、
「二度づけなどしてないはず」だと自分を信じこませる。
これと似て非なるものとして、「どうでもいいので、あまり気にしない」が挙げられる。
この二つは、根本から全く違う。
前者は、「どうでもよくない」のだ。
にも関わらず、真実に蓋をしてブラックボックス化した状態で、丸ごと受け入れるという性質…というか機能が、日本人には備わっている。
表面化されていない問題は、存在しないのと同じ。
表面化した時にはじめて、存在することとなる。
もっと大げさにいうと、
二度づけされている状態と、二度づけされていない状態とが重なり合っている。
「シュレーディンガーの猫」状態である。
※これ説明がむずかしいので、各自お調べを
…っと、さすがに行き過ぎたので話を戻します。
「知る由もないものは知らないままでそっとしておきましょう。真実を知ることが最重要事項ではないのですから。」
といった価値観を、社会の暗黙のルールとして受け入れる日本人の特殊性と愛らしさたるや。
そして、それでも、日本は回っている。