以前、田舎でコロナが発症した場合、こうなってしまうのか…という恐怖について書きました。
今日、とある方との会話で、田舎と都会の話になりました。
そこで、逆の目線に気付かされました。
それは、「情報のシェアによって保つことができる治安の維持」についてです。
その方が言うには、
「現代社会は、初対面の人に親切をしようと、傘を貸したり、手をとって横断歩道を渡ろうと思ったとしても、近づくだけで警戒される。嫌だよね。」
と。
しかし、ここで思うところがありました。
確かに一理あるんですが、こと田川地域内で、その点についてのみについていうと、決してそんなことはないような気がしています。
田川では、初対面の人への親切が認められており、
さらに言うと、これは田川の庶民性の話ではなく、田舎全般で言えることなのでは?と。
では、それは一体なぜか。
僕なりに出た結論は、
「何らかの形で周囲の人に迷惑をかけてしまうと、監視社会のなかで簡単に周囲に広がってしまい、ムラ社会から排除されてしまうというリスクがあるので、人に対して悪いことをしづらい」
ということでした。
前述のコロナに関する記事では、正直にいうと、監視しあい、噂が広がりやすい社会をネガティブに捉えていた部分もありました。
一方で、その性質をポジティブな視点でみると、悪行に対する抑止力になっているとも言えるわけです。
僕は、このモデルが何かに似ているな…と気が付きました。
これ、ブロックチェーンのモデルに似ているんです。
都会は、情報伝達のしくみが中央集権型といえます。
力のつよいマスメディアや、SNS上で影響力がある人物が情報を発信し、大多数がそれを享受してインプットする形です。
対して、田舎の情報伝達のしくみは、非中央集権型に近いです。
一人の台帳に書き込まれた情報は、瞬時に身近な人の台帳に複製され、それがさらに複製され…と、ねずみ算的にものすごい連鎖で広がっていきます。
そして、一度台帳に記帳された情報は、大元を消したところで永遠に消えることがなく人々のなかに残ります。
しかもそれはクローズドな状態で、秘密裏で行われます。
田舎は、メディアに載らず、ググっても出てこない情報が瞬時にして共有される情報インフラ整備がすでに出来上がっているんです。
この情報インフラが一体どういう形で具体的な価値を産むのかはわかりません。
しかし、少なくとも僕は、そこにうまくスポットライトを当ててやるだけで、都会には出せない価値を産み出せる可能性を感じています。
コテンラジオいつも聴いてます。
お三方の個性と知性が凝縮していて、何回聴いても面白い!
樋口さんも一歩引きつつ、前に出る!
その辺のバランスが素晴らしい!
これからも楽しみにしています。
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あ…すみません…
というところからこちらにたどり着きました。
樋口さんの思考、たっぷりたのしませていたどきます。