WANDSはWANDSと言えるのか

WANDSのメンバー変更履歴をあらためて調べてみました。
Wikipediaに記載されていましたので、転載します。

この表をよくご覧ください。
メンバーの推移が激しすぎて、もはや、初期メンバーが一人もいない状態になった瞬間もあります。

特に、第3期から第4期への変遷線に注目してください。

完璧に入れ替わってます。
全く違うバンドになってます。


このWANDSメンバーの変遷を見ていると、僕はあるものを思い出しました。
それは、分子生物学者である福岡伸一さんの著書「生物と無生物のあいだ」です。
その中に「生命体を構成する分子は日々入れ替わってるのに、記憶は一貫している」という話が出てきますが、まさにこの状態になっています。

同じような思考実験として、
「明日、巨人と阪神の選手全員が全員入れ替わったとしたら、両チームのファンはどちらを応援するか?」というものもあります。
チームとは個人の集合体であるが、個人が入れ替わっても変わらず巨人ファンは巨人ファン足り得るのか。

また、僕個人の体験談としては、以前メインPCが自作パソコンだったときに、
最初買ったときから、
マザボとCPUとメモリをアップグレードし、
HDDをアップグレードし、
OSをアップグレードし、
ケースをアップグレードし、
DVDドライブをアップグレードし、
マウスとキーボードを買い替え、
…と交換を重ねた結果、
僕はずっと同じPCを使い続けてきたつもりが、ある日ふと気づくと、最初買ったときのパーツが一つも残ってなかったという経験があります。

また、比叡山の山頂に登ったときに、同じことを感じたことがあります。
これは、過去に一記事としてまとめています。

↑こちらの記事より、一部引用します。

「この川に流れる水は、おそらく数日前までは、さっき俺がいた山の上に降り積もった雪だったはず。
それが溶けて水になり、川になってここまで流れている。
そして流れる先は琵琶湖だ。
つまり、雪から水になり、水が集まって流れると川になり、川が溜まると湖になる。
水自体は、ただの水の分子。H2Oだ。 でも、それが姿や場所を変えると名称が変わる。 『雪』や『川』や『湖』は、ただの『状態』であり、『システム』なのだ。 同じように、人間の体、そして会社や街や国も全部、システムにすぎないんじゃないか」と。

あの日のWANDSと今日のWANDSは違う分子で構成されているのに、WANDSはWANDSであると言えるのか。

我々人間は今こそ、時の扉を叩き、WANDSを知り、WANDSというものをもっと強く抱きしめたなら、「生命とは何か?」という果てしない問いの答えに少しだけ近づくことができる気がします。
もちろん、永遠に答えが見つかることのない問いなのかもしれません。
でも、我々は探求し続けるでしょう。世界が終わるまでは。
そしていつか、もし答えが見つかったとしたら。
愛を語るより口づけを交わそう。僕はそう言いたい。

あぁ、無常。

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