今年の抱負は、「資源や習慣を見直し、意識する」ということでやってます。
詳しくは、こちらの記事より。
で、まずは一番わかりやすい「お金」を意識して生活してます。
僕は、福岡市内にある家から遠く離れた、田川市の職場で半分単身赴任生活をしてるんですが、
実験的に、職場である施設に寝泊まりするとき、特に外食の予定ががないときに口にするものは、
施設内にあるものでなんとかすると決めてやっています。
2日前は、施設内に大根とゴボウが余っていたので、煮物を作りました。
できれば肉が欲しかったところではありますが、食い物が食えるだけで十分幸せでした。
砂糖がなかったので、味付けは白だしとめんつゆとみりんで、雑な男料理でした。
具:ごぼう、大根
味付:めんつゆ、みりん、白だし
調味料:空腹
調味料が死ぬほど効いてて、むちゃくちゃうまかったです。
で、昨日は、夕方にその残りをいただきました。
これまた、一晩経ってダシが染み込んでいて、輪をかけてうまかったです。
そんなことをツイートしてたら、同級生が、
チータラ、ナッツ、タコの酢漬け、スルメイカを差し入れとして持ってきてくれました。
ありがたく、今日は、それで乗り切りました。
そこで、以前、ダイエットのときにも書きましたが、
あらためて、現代社会で生きる日本人は、食い過ぎだと再認識しました。
おそらく、一般的な僕の年齢の日本人男性にくらべて、
3日の間、10分の1くらいの量しか食べてないと思います。
それでも、全く問題なく活動できています。
僕らが生きていて、「食べたい」と思うとき、
本当に身体が「食べたい」と言っているのでしょうか?
以前、禁煙する前の話ですが、
ぼーっと考え事をしていて、
「さて、タバコでも吸おうかな」と思って手をみたら、タバコを吸っていたということが何度もありました。
おそらく、心や身体が欲しているんじゃないんです。
頭が欲しているだけなのです。
習慣という悪魔に吸わされているだけなのです。
食事も同じようなことが言えると思います。
僕らは、昔から、一日三食食べることを教えられ、習慣づけられてきました。
だから、お腹が減って、食べないといけないように感じているだけのではないでしょうか。
そもそも、「お腹が減った」という感覚も、本当に「ツラい」かどうか疑問です。
「お腹が減っている」からツラいのではなく、
「12時くらいに飯を食ったあとに、7〜8時間ほど経って、まぁ、食えるかなくらいの状態」のことを、
「お腹が減っている状態」だと名付け、それを「ツラい」というふうに思うようになっただけなのではないでしょうか。
「死ぬほど腹が減った」という言葉はありますが、
日本で生きていて、本当に餓死寸前の空腹を体験したことがある人が何人いるでしょうか。
身体が危険になる状態の、相当手前の方で、自ら赤信号を出して、
食いたいから食っているだけなんじゃないでしょうか。
ここまでくると、人はどれだけ食わずに生きられるのか、実験したくなってきました。
と言っておいてアレなんですが、
今、めちゃくちゃ白飯が食いたいです。
“その身体感覚は頭が作り出した幻想ではないか?” への1件のフィードバック