昨日、僕らが生きていて、「食べたい」と思うとき、
本当に身体が「食べたい」と言っているか?
というテーマで書きました。
これについて、もう一つ思うところがあります。
それは、「貧乏人の貧乏具合がだいぶライトになってる気がする」ということです。
昭和に作られた漫画や映画なんかで描かれる貧乏生活は、
「マジで貧乏そうやなぁ…」と思います。
エアコンはなく、テレビも洗濯機もなく、家は木造で隙間風が入ってきて、
一杯のかけそばを家族で食うような生活です。
それに比べて、令和の貧乏家族を描くとして、そんな描き方がされる気がしません。
団地暮らしで、テレビ、エアコン、スマホくらいは普通に保有して、
スーパーで安売りの惣菜を買いながら、「家計が赤字続きで大変なんですよー」と、ワイドショーのインタビューに答えてるイメージです。
つまり、「最低限保証される人間らしい生活」のレベルが上がっているということです。
一度あげた生活レベルは落とすとこは難しいという話はよく聞きますが、
僕は、それをいち個人、いち家族単位ではなく、国単位で感じていいます。
実際、成長率でいうと全然負けているはずのベトナムやタイに行ってきましたが、生活レベルは日本よりだいぶ低いです。
日本、大丈夫かな…と不安になることが、たまにあります。