僕は、「自分は自分、他人は他人」という考え方が相当強いです。
妻ですら、弟ですら、息子ですら、そう思っています。
なぜなら、価値観が全く違うからです。
しかし、僕はおせっかいです。
特に、年下や後輩、部下など、「僕のほうが分かっている」と(僕が)思い込んでいる相手に対して、ダメだと分かっていながら、どうしても価値観の押しつけをしてしまいます。
これは、常日頃からなるべくやらないように心がけていますが、どうしてもやってしまいます。
そして、後々後悔します。
こう言うとおそらく、
「価値観の押しつけをしてはいけない」となると、「そもそも教育というシステムが破綻するじゃないか!」という考える方がいると思いますので、補足です。
僕は、経験豊かな人生の先輩が、後世に対して出来ることは、「命の危険や、心身への後遺症が残るような大事故を未然に防ぐ」ことだけだと思っています。
なので、小さい子供には、「高いところで遊んじゃダメ!」とか、「道路を飛び出しちゃダメ!」とかは、絶対に教えるべきです。これは、教育として大事なことだと思います。
ただ、そこから先はもう価値観を押し付けるべきではないと思ってます。
人が人に対してやっても良いのは、価値観を押し付けるのではなく、多様な価値観があることを教えることまでだと思っています。
これが、「押し付け」ではなく、本当の意味での「アドバイス」です。
押し付けとアドバイスの違いは、僕の中では明確で、「自分が提示した考えと違う方を相手が選んだ場合に、承認するかどうか」だと考えています。
先日紹介した大学生のブログに、こう書かれていました。
そして9月のある日、私の考え方に対して完全否定を示した。
「わけのわからない事を言ってないで、アドバイスだから聞いてくれ、まずは、お前は社会を知れ」。
僕はあの痛烈な一撃を今でも鮮明に覚えてる。
アドバイスかどうかなんて、受け取り側の問題だ。
私にとってあなたのアドバイスはアドバイスではなく命令でしかない。
なぜなら、親から受け取る圧倒的な愛情と、私の親に対する圧倒的な信頼が作る、大きなパイプラインを通じて、言葉は大きな重圧として、私に一直線に飛んでくるから。
自立して自分の人生を生きるために伝えなければならないこと / Life as Breakbeats
http://bit.ly/2L7oDdw
ここでやはり気になるのは、「私の考え方に対して完全否定を示した。」の一文です。
もちろん、僕は会話の一部始終を聞いたわけではありませんし、彼と親御さんとの関係性を知りませんので、
親御さんがどういう気持ちで彼に「アドバイス」をしたのか、何一つ確定的なことは言えません。
ただ、重要なことは、
「言葉を発する側の思惑はどうであれ、相手が完全否定されたと思ってしまった」ということです。
僕は、人と人とのコミュニケーションは、簡単なものではないと思っています。
人は、人に言葉で物事を伝えますが、言葉で伝わるのはあくまでも顕在化されている部分のみで、
コミュニケーションとは、人と人の潜在部分、つまり言葉を使って、言葉にならない部分で会話していると思っています。
言葉尻だけをとらえたところで、なにも伝わりません。
僕が思うに、もし親御さんの言葉である、
「わけのわからない事を言ってないで、アドバイスだから聞いてくれ、まずは、お前は社会を知れ」
の一言を言うまでに、この一言が響くような関係性が構築されていたら、
彼はこの言葉によって「完全否定」という単語を頭に思い浮かべることもなかったのかもしれないと思います。
話が微妙にそれましたが、何を言いたかったのかといいますと、
価値観は「押し付け」られるようなものでなく、出来ることはあくまでも相手に価値観の多様性を伝える「アドバイス」まで。
そして、「押し付け」なのか「アドバイス」なのかは、結局のところ言い方や言葉のテクニックだけではなく、日々の信頼関係の構築だ。
って感じです。
で、最後の最後に補足(蛇足?)です。
僕は20代と話していても、すでに価値観が変わってしまっていることを感じます。
親と子供の年齢差になると、もっとこれが顕著にあわられるのだと思います。
インターネットや、その他テクノロジーの発達により、
大人が持っている知識や経験の価値と、若者の柔軟性や体力や吸収力の価値を比較した時に、後者の方が経済的価値を生むようになる分岐点がもうすぐ来ます。
それを、今までの価値観のなかで、「経験」の価値に重きを置いてすがって生きていると、どんどん時代に取り残されていくような気がしてます。
どれだけ、新しいエネルギーを自分に取り入れることができるか。
それを、いかに楽しんでやれるか。
これが、常に意識をしていなければ、簡単なようでなかなか難しいと思います。
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