SNSサルベージです。
[プラットフォーム]:Facebook
[投稿日時]:2015年02月18日
「考え方」はモジュールやパーツなので、基本的には正誤判断できるものではない。
意思決定が必要な議論の中の「正しい」「間違っている」のほとんどは「好き」「嫌い」か、もしくは「使いやすい」「使いにくい」に置き換えたほうがしっくりくるような気がする。
基本的には好きな考え方モジュールをどんどんサンプリング、発明、アレンジして、使いこなすのがいいが、
嫌いな考えが不必要かというとそうでもなく、後々使えることもあれば、人が困っている時に「俺は共感せんけど、こんな考えもあるよ」と、貸すこともできるので、持っておく価値はある。
ただ一点、許容量に制限がないとはいえ、あまり多くストックを持ちすぎると、選択コストが増し、選択をした後に後悔が生じるというデメリットがある。
結局、質も量も、自分の能力や性質に合わせてバランスをとっていくしかない。
という考え方を使っています。
以上、4年ほど前に書いた文章です。
例えば、ことわざがこれのいい例だと思います。
「善は急げ」⇔「せいては事を仕損じる」
「好きこそものの上手なれ」⇔「下手の横好き」
たとえばコレなんかは、完全に逆の意味です。
昔は、「逆の意味のものが存在したら矛盾じゃない?」と思っていました。
ただ、全てはモジュールだ、つまり、道具なのだと考えると、必要なときに必要な道具を使えばいいという発想になります。
釘を打つときはカナヅチを、抜くときは釘抜きを使うようなもの。
常にいつも一貫していなくていいんです。
打ちたいときや、打ったほうがいいときは打ったほうがいいし、
抜きたいときや、抜いたほうがいいときは抜いたほうがいい。
なぜなら、それが正しいか間違っているか最終的に決まるのは、自分が死んだ時でしかないからです。