それでも、選ばれたい

例えば4人組のロックバンドがいたとします。
この4人は、なぜ集まっているのでしょうか。

…その答えは簡単です。
もちろん、バンドをやるために集まっているに決まっています。

でも、なぜバンドをやっているのか。
その理由は、もしかしたら全員違うかもしれません。

もしかしたらボーカルは、
女性とセックスがしたいから、
バンドをやっているのかもしれない。

もしかしたらギターは、
自分の内なる音楽性を高めたいから、
バンドをやっているのかもしれない。

もしかしたらベースは、
自分がキッズだった頃に憧れたロックスターに自分がなることで今のキッズに夢を与えたいから、
バンドをやっているのかもしれない。

もしかしたらドラムは、
気の合う仲間とワイワイやりながら一つの目的に向かって走るのが好きだから、
バンドをやっているのかもしれない。

この四人にとって、「バンドをやる」というのは、その向こうにある目的を達成するための「やり方」にしか過ぎません。
大事なのは、「在り方」であり、なんのために生きているのか?ということです。

生きる理由は、なんでもいいんだと思います。
その、「みんなの生きる理由」が交わるところに、自然と活動の拠点ができてくるものだと思っています。
文頭の例でいうと、その活動の拠点が、バンドだということです。

施設も、会社も、ボランティア団体も、人が集まってできる集団全てが、本来そうあるべきです。
集団全体のために働きつつも、個人一人ひとりが集団として推進する活動に価値を見出していて、
その価値に共鳴するからやっているだけ。
もしくは、自分の活動に対して利用できるからやっているだけ。
そんなふうに、誰からも何も強制されず、自由の中で、自分の意思で選択的に活動できている状態が僕の理想です。
「やり方」に囚われて、「在り方」が見えなくなっていないでしょうか。

例えばバンドなら、今バンドを組んでなかったとしても、今のメンバーを選ぶのか?
例えば業務提携なら、今契約を結んでなかったとしても、今の取引先を選ぶのか?
例えば会社なら、今無職だとして就職活動をしていたとしても、今の会社を選ぶのか?
例えば夫婦なら、今未婚だとして婚活をしていたとしても、今の相手を選ぶのか?

過去の自分から自由になり、全ての環境からも自由になった状態で、
約束も束縛もルールもなく、
それでも選びたいとおもいあう関係こそが、最も強い関係性だと思います。

今、何かの偶然で僕を選んでくれている方々が、たとえ自由になったとしても、もう一回僕を選んでくれるような、
そういう人間でありたいなと、そこそこ本気で思っています。

…とはいえ、全てはマッチングでしかないんで、なんともっすけどね。

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