東京

コテンラジオのオフ会で東京に行ってきました。
よくよく振り返ると、コロナ以後は行けてなかったので、約9ヶ月ぶりに行った東京でした。

なんか、うまくいえないんですが、
東京に対して強烈に哀愁を感じてしまいました。

初めて東京にいたのは、小学生の時です。
たしか夏休みだったと思います。
ディズニーランドに遊びに行き、国分寺の親戚の家に遊びに行きました。
子供心に、「これがドラえもんの町かぁすごーい」と感じたのを覚えています。

当時の東京は、田川の小学校に通っていた僕にとっては異国でした。
異国どころか、宇宙だったかもしれません。
とても、ここに住むなどということは想像できませんでした。


次に東京に行ったのは、大学生3年生のときでした。
大学が企画した企業研修で行った大東京。
それが、生まれてはじめて触れた、当時の生活の延長にある、リアルな東京でした。

大学生の僕から見た東京は、全てが光り輝いていて、全てが新しい刺激に満ち溢れていました。
ビクビクしながら新宿ゴールデン街を歩き、ラーメン二郎の洗礼を受け、下北沢のライブハウスでみたバンドにライバル心を燃やしていました。
そこではじめて、「いつかここで人生の挑戦をする」という感覚がリアリティーをもってきました。


その数年後、音楽を作って生活するために上京することになります。
一足先に上京した友人たちに手ほどきをうけながら、なれない一人暮らしをはじめ、仕事がなく、お金がなく、時間があった当時の僕は、平日の昼間からいろんな場所に足を運びました。


その後、芸人としてよしもとに所属します。
テレビの中で話だけは聞いたことがある、「売れない芸人」や「夢追い人」というロールを演じ、
同じように夢を追う人たちとともに時間を過ごしました。
その中で、社会の底辺から徐々に社会に認められだし、自信もついてきました。
自分は、「音楽で食っていく」という、限られた人だけが得ることができる称号を得て、人並み以上の収入を得ることができました。


しかし、その頃から、徐々に心が病んでいく時間が増えてきました。
今の生活の先に、どういう幸せが待っているのだろう、と考えると、
生きている意味を失うこともありました。


そして、今。
東京を離れ、生まれ育った田川という街で田川のために命を燃やしています。

今回の東京は、いままでの東京出張とは少し違いました。
今までの出張で行った東京には、「住んでいた東京」の残り香を感じていました。
「今はちょっと距離をおいている自分の街」という認識だったのでしょう。

対して、今回は初めて、「ずっと過去に住んだことがあるような気がする、もう自分の生活とは遠くかけ離れた場所」に見えました。
ついに、東京が自分の街ではなくなったといった感覚でした。

そんな東京を肌で感じて、僕は、哀愁を感じました。

今の僕から見る東京は、希望に満ち、活気に溢れる光り輝く場所ではなく、
「かつて人々が集まり、栄えていた場所」に見えてしまいました。

なぜそんな印象をうけたのかは、わかりません。
今思い返すと、住んでいたときと変わらず、新宿や渋谷は人でごった返していましたし、街は開発が進み、どんどん発展していました。
それでも、僕にはそう見えたのです。少なくとも、僕の目には。


人が何かを認識するとき、必ずその人の認識のフィルターを通してでしか認識できません。
僕に東京がそう見えたということは、事実がどうであるかは関係がなく、僕のフィルターがそう捉えてしまったということです。

僕の中で、何かが変わってしまったのでしょう。
そして、それがいいことなのかわるいことなのか、成長なのか退化なのか老化なのか。おそらく、そんなことは大した意味を持たないのでしょう。

僕が哀愁を感じようが、僕が希望を感じようが、
東京は今日も変わらず、東京のまま。

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