心頭滅却すればランニングもまた苦しくなし

年末のフルマラソンに向けて、毎週10km走っていますが、
回数を重ねるごとに、「走りたくない」という気持ちがどんどん増していきます。
昨日は、過去一番に「走りたくない」日でした。

間違いなく、一週間の中で最も苦痛で絶望的な時間です。


フルマラソンまであと2ヶ月。走らないといけないのもあと2ヶ月です。
モチベコントロールを上手くやって無理なく続けられるようにすることで継続性が云々を考えることで、楽しく、ストレスなく走る習慣をつけていく方もいるでしょう。
「歯磨きのようなもので、習慣化すると走らないほうが逆に気持ち悪くなるよ」という意見も聞きました。でも、僕はそうなっていません。このまま続けて、そうなりそうな気配もありません。多分、無理だと思っています。
もう考えるのめんどくさくなりました。
というより、無理なので諦めました。
もはや上手くやろうとかいう気などありません。根性だけであと2ヶ月乗り切ります。苦痛で結構、絶望で結構です。


ちなみに、
身体的ハードルより、精神的ハードルのほうが手強いんです。

正直、身体的には、10kmは意外と走れるようになってきてます。走り始めた当初は、たった3kmでもヒーヒーいってました。
身体はなれてきているのは事実です。
しかし、心は悲痛な叫びをあげています。
「走りたくない」という感情が、強烈すぎます。

でも、そんなことは関係ないです。
心がいくら絶望の悲鳴を上げようが、そんな感情自体殺します。無になって、ただただ決められたルールを遂行するのみです。
こうなったら、どこまで苦痛を味わえるか体験してみます。地獄の底が見てみたいです。


ところで、昨日走りながら、ふと思いました。
昨日は、田川にいたということもあり、普段走ったことない道を走ったんですが、行きは相当長く感じました。
対して、帰りはかなり短く感じました。

その理由を、自分なりに分析してみました。

行きは、道を注意深く見ています。
危険な場所がないか、地図上のあの場所まであとどのくらいだろうか、このうどん屋に昔よくいってたな、など。

帰りは、一度通った道なので、新しい刺激が少ないです。
つまり、インプット量が少ないといえます。

帰り道より行き道のほうが、
道や景色や走ることそのものについて情報が多く、刺激があり、”意識”しています。
そして、走ることそのものについて考えている時間が長く感じるほど、走るのがきついと感じるのではないか?と。

…ということはもしかして、「自分が走っている」という認識が僕の中で完全になくなれば、そもそも「きつい」といった感覚もなくなるのかもしれません。
辛い、苦しいという感情も、所詮人の心が産み出すものだといいます。
これこそが、「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉の意味なのではないでしょうか。

来週も走ります。

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