今日は、夜から田川で予定があったので、夕方までは家族と過ごしていました。
夕方になり、そろそろ田川に向かわないといけないという時間になったので、息子の虎之介に、
「じゃあお父さんはそろそろお仕事いってくるね」
と伝えると、わんわん泣き出しました。
泣き止みそうになかったので、泣きわめく虎之介を妻に任せて家を飛び出し、車に乗り込んで田川に向かって走り出したところで、妻からLINEが入りました。
その内容は、虎之介はお父さんともっと遊びたかったらしいよ、また今度帰った時に遊ぼうねと言ってるよ、とのことでした。
それをみたときの率直な感想は、「うれしかなしい」でした。
僕は、虎之介と接する時に限っては、自分の利益などどうでもいいと考えています。
虎之介の幸せだけを考えて虎之介と接しようと決め、実際にそういう意識で向き合ってきました。
そういった意味で考えると、虎之介が泣くような思いをさせてしまったことは、「悲しい」です。
しかし、あろうことか僕は、同時に「嬉しい」と感じてしまいました。
虎之介が悲しい気持ちになってしまったことを、心の奥底で喜んでしまったんです。
虎之介が自分を必要としてくれているということが、嬉しかったんです。
そんな自分に気づいた時、さらに複雑な気持ちになりました。
滅私の精神で向き合ってきたつもりだったのに、本心のところでは、自我に支配されていたということです。
乱暴な言い方とすると、「自分が必要とされたい」という浅はかな欲望を満たすためには、虎之介に悲しい思いをさせてもいいと思ってしまっていたということです。
人間、思いたいように思うことは不可能だとアタマではわかっていながら、思いたくないように思ってしまった自分に気づいてしまったことについて、僕は恐怖を感じています。