幸福度相対性理論

前回と前々回の続き。

おさらいはこちら

「二種類の快感」
曲作りという「作業」は嫌いだったが、その周辺にある「満足感」や「達成感」があったから折れずに頑張ってこれた。
だが、それでも時々、心身ともに病気になってしまうことがあった。

「のーみそ」
責任や仁義といった、自分が決めたルールに自身が苦しめられていた。そんな自分は、
「物事をややこしく考えてしまい、シンプルに答えを出せず悩んでしまう自分の思考回路そのもの」について最も悩んでいたことに気づいていなかった。

以上を踏まえて、考察を進めていきたいと思います。

幸せとは常に相対的なものである

最初は、バンドをやっていました。
その時は、「自分が褒められたかった」というのが最も大きな動機づけでした。ハッキリいって、観客を楽しませたいという欲求よりも、観客や関係者から認められたいという欲求が強かったように思います。

その後、音楽制作業をはじめました。
ここで、「僕を信頼して仕事を頼んでくれた目の前のクライアントを喜ばせたい」という欲求が芽生えました。

そして、弟子を雇いました。
ここで新たに、自分が全責任を負って弟子を育てたい、つまり自分が主人公ではなく、弟子を主人公にしたいという欲求が芽生えました。

その次は、生まれ故郷でした。
自分がすぐに手の届く範囲の人だけではなく、故郷である田川地域全体を主人公として盛り上がるのを支えたいという欲求が芽生えました。

どんどん欲求が変化していき、段階を重ねるごとに難易度が高くなっているのがわかります。

普通に考えると、どこかに収まって、立ち止まるのが一番楽です。
僕自身ですら、客観的に見てそう思います。
ではなぜそうできなかったのか。
「向上心や野心があるからだ。常に上を目指し、満足してはいけない。男たるもの、そうあってしかるべきだ。」
たしかに、そういうマッチョな視点もあるでしょう。
ただ、もしそうだったとすると、しんどい思いをすることはあれど、悩むことは無いと思います。
僕の場合はそれよりももう少し冷静に言い表した言葉のほうがしっくりきます。
僕の答えは、「幸せというものが常に相対的であるから」です。

つまり、目指すところがあり、そこに到達すると、もうその時点で、幸せではなくなります。
もっと直接的に言うとすれば、「飽きる」です。
高校物理を習っている方でしたら、電位(絶対値)と電圧(相対値)をイメージして考えるとわかりやすいのですが、要は、状態が変化し、幸せになる”とき”に幸福度を感じるということです。
そして、変化し終わったあとは、ただただ基準値が変化したという事実だけがあり、幸福度には直接は影響しない。

「生活レベルは簡単に下げられない」という言葉は一般的によく使われます。
それと同じように、一度上がった幸福レベルは、その位置にあって当たり前、下がれば不幸という状態になります。
そして、絶対値を上げれば上げるほど、維持が難しくなっていきます。
これは、本当に幸福な状態なのでしょうか。
では、いったいどうすれば幸福度を保てるのでしょうか。

制限を設けてハードルを下げる

僕自身、もちろんその答えは見つかっておりませんので、ここで答えを出すことはできません。ただ、一つ、ヒントになるものがあります。それは、
「制限を設けてハードルを下げる」という考え方です。
これこそまさに、幸福レベルを下げることで、相対的に幸福を得やすくする状態だと思います。

Ustream全盛期に、僕が企画したネット番組があります。
それは、「1hmusic」という番組で、その名の通り、「番組中にリアルタイムで1時間で曲を作る」という番組でした。
そのあと、ニコ動に移動し、「60分で曲を作る人間TV」というタイトルに変え、暫くの間定期的にやっていたのですが、これこそまさに意図的に制限を設けてハードルを下げる仕組みを取り入れた企画でした。
「60分で曲を作る」という、プロでもありえない状況を作り出し、観客に楽曲のクオリティーへの期待をさせないようにしました。
なので、どんな完成度が低い曲でも毎回、「60分”なのに”こんな曲ができるとかスゲー!」というコメントを頂いておりました。
そのかわり、曲の完成度よりも、曲の足りない部分、欠けている部分を楽しんでもらい、作曲者の苦悩や疲弊した顔をそのまま伝えることそのものをエンタメとして伝えていこうという意図がありました。

上を目指して、ずっと突き進んでいくと、永遠に終わりがありません。
月収5万のときは15万を目指しますし、15万のときは30万を目指しますし、30万のときは50万を目指すでしょう。
ずっとこの螺旋から抜けられない状態は、しんどいです。

いや、この言い方だとちょっと語弊がありますね。言い方を変えます。
目指す先に何もありそうにないのに頑張り続けることがしんどいです。
でも少なくとも日本の現代社会は、頑張らないと社会で生かしてくれません。
じゃあ、何を軸に頑張れば良いのでしょうか。

本当は今回で一旦完結させようと思ってましたが、長くなってきたので一旦ここで切ります。

次回でマジで終わりにします。


【追記】
続きを書きました。
「指針を定めよ」

幸福度相対性理論” への3件のフィードバック

  1. ピンバック: HIGUCHI Kiyonori

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