「あなたの力で、世界を変えられると思いますか?」と聞かれたら、なんと答えるでしょうか。
何か活動をするには、必ず何かのリソースが必要です。
時間、金、人、能力、情報。
あとは、目に見えないところでいうと、リスクを負う「覚悟」なんてものも、ある意味リソースでしょう。
人が活動するとき、その先に必ずビジョンがあります。
そのビジョンは、大小を問いません。
「世界の自殺率をゼロに近づけたい」などといった、長期的かつ壮大で、達成可能性が低いビジョンもありますし、
「今日はうまい晩飯食いたい」といった短期的かつ小規模で、達成可能性が高いビジョンもあるでしょう。
それに向かって、人は活動します。
そしてほとんどの場合、自分が自由に使えるリソースを使って、そのビジョンを現実化しようとします。
「うまい晩飯が食いたい」のであれば、自分の財布と相談して、財布から取り出せる許容範囲内のお金で、お店に行くでしょう。
至ってふつうのことです。
では、自分が所有するリソースだけでは達成できないビジョンがあったとします。
「かっこいいけど高いバイクが欲しい」場合を想定しましょう。
自分が自由に使えるお金では、到底買えません。
そんなとき、普通は「リソースを貯める」という方法をとります。
金を稼いで、目標金額に達成したらめでたく購入です。
もしくは、ローンでしょうか。将来自分が稼ぐはずのお金を、未来の自分から借ります。
至ってふつうのことです。
さて、では、規模をもっと大きくしてみましょう。
上で挙げた、「世界の自殺率をゼロに近づけたい」だとどうでしょうか。
あまりに壮大すぎて、何から手を付けていいのかわからないですね。
そう実感したとき、もしかしたらこう思うかもしれません。
「自分の能力や影響力では、難しい」と。
しかし、果たして、本当にそうでしょうか?
もし、ある子供…中学生くらいを想定しましょう。
※今からの話は、すべて妄想です。
彼が、本気で日本から自殺を減らしたいと思っていたとします。
そして、それを明確な根拠をもって、人に言い続けたとします。
ただの例えなので、ここでは何でもいいんですが…そうですね、
「自殺は殺人と同じだ!他人を殺しているか、自分を殺しているかで多少違いがあるだけで、人を殺しているのには違いない。
そんなことを断じて許せない!人は、人を殺してはいけない!たとえ、自分であろうとも!」
という思想を持っていたとします。あくまでも、例えばですよ。
彼は、学校でも、家でも、周りに人に向かってそれを言い続けました。
周りは、理論は間違ってないと理解しつつも、
「かといって、お前に何が出来るんだ?中学生のくせに…」
という冷ややかな目で見ています。
そんな中、たまたま彼の話を聞いた一人の大人が、彼の意見に耳を傾けます。
「なるほど、彼の言っていることは間違っていない。これは記事にしてみよう。バズるかも。」
その大人は、ブロガーでした。ブログで生計を立てたいと思っていますが、中々バズる記事が書けず、苦しんでいます。
子供をネタにしている、かつ、社会問題がテーマである。これはいいネタ発見。ブログの記事にして、バズらせてアクセス数を稼いで、日銭を稼ごうと、SNSで告知しました。
それを見たのが、その同級生の実業家です。
彼は、東京で起業し、すでに会社を複数経営しています。
そんな彼ですので、とにかく意識が高いです。
著名な実業家が運営するオンラインサロンにも加入してたりします。
そんな彼は、悩みがありました。
それは、いとも簡単に実業が成功してしまうことです。彼は、幸か不幸か、ビジネスセンスがありました。
「この分野で、これをこんなやり方でやるだけで儲けられそうだな」と思ったことが、ことごとく当たるわけです。
なんか、ビジネスが当たるのは面白いんだけど、金を稼ぐことに、喜びを感じない…。もう、金で買えるものは全部買ってしまった。
いくらいい家に住もうが、いい車に乗ろうが、いい女を抱こうが、虚しいだけだ。
俺は、なんのために産まれてきたんだろうか…
…などと思っています。
そんなときに、SNSを見てると、同級生の売れないブロガーの記事が目に入ってきました。
そこで彼は衝撃を受けます。
「これだ!俺ができることはこれだ!よし、日本中の苦しんでいる人が集まって、悩みを打ち明けられるような施設を作ろう!」
と思いました。
資金は潤沢にありますし、それだけ成功するくらいですので、行動力もあります。さらに、PR能力も抜群です。
施設がオープンするまでのストーリーを事細かに軽快な文章で本にしてリリースしました。
その本をたまたま書店で見つけて読んだのが、著名ミュージシャンです。
彼は、若い頃に自殺しかけたことがあります。
それを救ったのが、音楽でした。
音楽があったから、彼は今生きています。そして、自分と同じように、苦しんでいる人を一人でも救うために、自分も音楽で何かを伝えたいと思いたち、ミュージシャンになりました。
そんな中、そんな本に出会ったものですから、すぐに実業家にコンタクトをとりました。
「ボランティアでいいから、貴方の施設がオープンした際には、ぜひライブイベントをやらせてくれ」です。
そうして、彼の音楽に共感するファンたちが、施設に殺到します。
そうやって、施設に人が集まりだしました。
そんな活動をみていた、一人の国会議員が思いました。
「今からは、政治家が枠を作って、その思惑どおりに国民を動かす時代ではない。
国民の一人ひとりが国の課題に気づき、それに対するソリューションを自分の頭で考え、行動するような国民を支援することこそが国の役割であり、いち国会議員である私に出来ることだ」
と、議会で提案し、無事法案が通りました。
施設には補助金がおり、施設は運営を続けることができ、結果的に、日本から自殺者が減りました。
以上、全て僕の妄想です。
しかし、こんなストーリーが実際に起こる可能性はゼロではありません。
今回は全部僕の妄想ですが、余裕でありえます。多分、すでに今もどこかで起こってます。
そして、このストーリーを産んだ最初の発端は、自分の想いを、小さい範囲でも周りに発信し続けた中学生です。
つまり、中学生の純粋な想いが、世界を変えたのです。
こんなことが、インターネットの発達により、起こり得る時代になってしまったのです。
そのスピード感が顕著に早まりました。
想いを発信するだけで、その想いに共鳴する人が見つかり、結果的にムーブメントを起こすことができます。
冒頭の質問に戻ります。
「あなたの力で世界を変えられると思いますか?」
この答えは、もうおわかりでしょう。
あなた一人だけの力で世界を変えられるかと言われると、もしかしたら難しいかもしれません。
でも、あなたの思いが、ドミノ倒しのように人を共鳴させて動かしていき、最終的に変えられる可能性は十分にあります。
つまり、
「あなたの力で世界を変えられます」
です。
自分の力を過小評価するのはやめてください。
社会にとって損失です。
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