池田勇治という男

だいたい、2008年の春くらいでしょうか。
当時、僕は全く売れない音楽作家(作曲家のようなものだと思ってもらえばいいです)をやってました。

当時、最も主流だったSNSであるmixiのホーム画面を開くと、見知らぬ男から一通のメッセージが届いていました。
メッセージ履歴はもう消えており、詳細は覚えてないんですが、
おそらく、以下のような内容だったと思います。

「はじめまして。広告系の音楽プロデューサーをやっている池田勇治と申します。
プロフィールを拝見したところ、同い年で、かつ同じ福岡県田川出身で、音楽作家をやられているということで、ご連絡させていただきました。
一度お会いできないでしょうか?」


恵比寿にあった、当時池田が働いていた会社を訪問し、インターホンを押すと、池田が出迎えてくれました。
彼の第一印象は、
「なんか、音楽プロデューサーと聞いてどんな人なんやろ?と色々想像して来たけど、胡散臭いっちゅーいうよりは、おもろいで親しみやすい顔やなぁ。頭悪そうやけど…。」
という感じでした。
そして、応接室に通され、軽くお互いの自己紹介を終わらせたあとは、田川の話や、共通の友人の話で盛り上がりました。
一時間ほど話した後、どちらから誘ったのかは忘れてましたが、
「なんか楽しいっすね、このあと飯でもいきません?」
という話になり、定食屋に食事に行き、食べ終わった頃には、
池田が「夏の女性のハイヒールのカカトに興奮する」という事まで話せるような仲になっていました。

これが、仕事のパートナーとしての池田との関係のはじまりでした。

それを機会に、池田から徐々に仕事をもらうようになり、僕の家で池田と2人で作業する機会が増えてきました。

付き合えば付き合うほど、彼の精神の図太さに驚かされました。

まだ3回ほどしか会ってない時に、急に
「お金貸してくれませんか?」
という電話がかかってきて、
フリーランスでヒーヒー言ってた僕に金を借りに来たあげく、
「終電がなくなったので、泊まらせて!」
と、僕が必死こいて作業している後ろでガーガーとイビキをかきながら寝だした時は、
コイツ寝てる間にハサミで頸動脈ブチ切ってやろか?と思ったのを覚えています。

この池田に出会えた事が、僕の音楽人生を大きく変えました。
まず、それまでの僕は、師匠と呼べる存在がおらず、仕事のやり方も、曲の作り方も、業界内の雰囲気も何もかもわからず、全て自己流でやっていました。
それを、プロデューサーという立場から色々と教えてくれたのはこの池田がはじめてでした。
そして、その後オフィス樋口でも多数お仕事をさせていただいた、広告の世界への扉を開いてくれたのも、池田でした。

そんなこんなで池田は今、独立して自分で会社を作り、かわらず音楽プロデューサーの仕事をやっています。
上手くいってるのか、いないのか。

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