今日を過去にコントロールされたくない

ここ二日、浮世と完全に断絶した時間を過ごしていました。

毎日24時までに更新すると決めているこのブログも、2日連続で書けないほど断絶してました。1日だけなら忘れたり、ミスったりして更新が滞った日もありましたが、2日連続というのは今までで初めてかもしれません。

僕の経験上、ずっと長い時間かけて自分を騙し、奮い立たせて、なんとかギリギリ途切れさせずにやってきた継続がとぎれてしまった、こういうときが一番やばいです。

切れてしまった緊張の糸を修復することが難しく、そのまま辞めてしまうことが多いです。もっと例えるなら、「心が折れる」ってやつです。
特に、僕はもともと完璧主義の特性があるので、このパターンは何度も経験しました。

実はこの文章を書いている数分前までは、「ここまで頑張って続けてきただけで自分の中では十分すごいことだから、もうこのへんでブログは手仕舞いにするかなぁ」とか思ってました。

しかし、冷静になってもう一度考えてみました。

そもそも、僕は、
「継続している物事を達成できなかったときの心のモデル」を、
「緊張という、糸のような細い形状の物質が張り詰めた状態からプツンと切れる」とか、
「心という、木のような形の固い物質が天に向かって伸びている状態からポッキリと折れる」
…といったイメージで捉えていました。

しかし、そのイメージ自体は、緊張の糸が切れるとか、心が折れるといった日本語の慣用句から想起される物理モデルです。本来元々あるものではありませんし、そもそも物理モデルに例えるのは、人にイメージを共有したいからです。

僕は、この一件について、物理モデルに例えてとらえることをやめました。
もっというなら、この一件について考えることをやめてみることにします。
そもそも、今日と過去は違うものです。
過去によって今日が作られたのは事実ですが、
過去によって今日が操作される筋合いはないです。
今までやってきたことが、たまたま2日連続でやれなかったからといって、
本来、今日やらない理由にはならないはずです。

毎日ブログを書いたほうが良いと思っているから、今日、こうしてブログを書く。
ただそれだけをモチベーションにしていいはずです。

なので、何事もなかったかのように、今日からまた毎日書き続けます。

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