2歳8ヶ月の息子、虎之介をしつけるとき、たまに判断に迷うときがあります。
今日、風呂場でスーパーボールと魚のプラスチックのおもちゃをぷかぷか浮かべて遊んでいました。
楽しくなってテンションが上がった虎之介は、スーパーボールを壁や床に投げだしました。
ここまでは僕の中ではOKゾーンでした。
そのあと、魚のプラスチックのおもちゃも同様に壁や床に投げ出しました。
その時点で、僕はやめさせました。
「お魚が、『痛い!痛い!』っち言うよ。かわいそうやろ?投げたらダメよー」
ってな感じです。
まぁでも、プラスチックのおもちゃが痛いわけないんです。
なんとなく、ゴムのスーパーボールはOKで、プラスチックの魚のおもちゃはNGなんです。
こんなふうに、ここまでは間違いなくアリなんやけど、ここは…いや、どっち?
ということがよくあるわけです。
これは、子育ての時にも意識しますが、大人に対しても思うことがあります。
ご飯粒を茶碗に残すかどうか、
床にある本を移動させる時に足でさわるかどうか、
共有の器から自分の分を小皿に取り分ける際に逆さ箸にするか、
食べ終わった皿を重ねていいかどうか、
ティッシュなどのゴミを食べ終わった皿や茶碗に入れていいか、
箸を正しく持てなくてもいいか、
…などなどです。
これは、育ってきた環境によってはアリにもナシにもなる微妙なラインでしょう。
そして、これらを決めているのは、倫理観や道徳観や正義感ではなく、おそらくただの「文化」です。
この「文化」がどのように形成されていくのかというと、ほとんどが幼少時代に両親や極々近い周囲の人からインストールされる「文化」だけで決まるものなんだと思います。
しかしそれで言うと、上にあげた、倫理観、道徳感、正義感ってのも、同じよう近い人たちだけで形作られる「文化」にすぎないんでしょうね。
面白いですね。