絵の正解

昨日、虎之介(2歳7ヶ月)が絵を描く様子をずっと見ていました。

虎之介が絵を描くとき、迷いや躊躇が一切ありません。ペンやクレヨンを手にとるやいなや、ノータイムで紙の上を走らせます。色も一瞬で決めます。

蛙だから緑、カブトムシだから黒、人肌は肌色といった見た目本来の色ではない色を選んだりもしますが、何も考えていないようで、ちゃんと自分の意志で決めているようです。

「牛を描いて」とオファーすると、じっと考えて、「描けない」と、返されました。スマホで牛の写真を見せてみてもダメでした。

それではと、「蛙を描いて」とオファーすると、スマホを見ながら描き始めました。

いざ出来上がったものはとても蛙には見えなかったんですが、それでも本人の中では立派な蛙だったようで、満足げにしていました。


大人になると、大半の人が一切躊躇せずに絵を描くことができなくなります。それはおそらく、ある一定基準以上の成果を期待するからです。あまりに質が低いものを描いてしまうと、恥ずかしいからです。

しかし、当たり前のことですが、本来絵なんてものは、上手い下手の尺度はあるものの、正解不正解の尺度はないはずです。それがあるのは、「絵で情報を伝える」ことが仕事のプロのイラストレーターだけです。

歌も同様です。

そして言うまでもなく、生きることもそうです。人それぞれ上手い下手はあっても、正解不正解はありません。

そんなことを、虎之介が絵を描いているときに考えていました。

メタ視点になりますが、僕にこのことを考えさせている時点で、虎之介が絵を描くと言う行為そのものが、僕に影響を与えたということになります。これは、虎之介が意識的に望んでいた成果ではないはずです。

もう、いい意味で、何がどうなってもなんでもいいやということを、最近よく考えたりします。

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