大義名分という刀

「あ、やっべ、走りたくねぇ」


年末のフルマラソンに向けて、毎週ランニングを欠かさず続けています。
最初は4キロからはじめ、しばらく4キロランを続けていたんですが、
さすがにそろそろ調整をはじめなければ42キロに到達できないということで、
毎週1キロずつ距離を伸ばしています。

先週は8キロでした。

心の底から悲鳴が聞こえてきます。


最近意識していることがあります。それは、
「自分の中から『べき』を無くす」ことです。

では、「走るべき」も無くしてもいいはずです。

加えて、本気で「走りたくない」と思っているんです。

つまり、止める材料は揃ってるんです。
それなのに、「一度走ると決めたから走る」の呪縛が強すぎて、なかなか解けません。


FP2級もフルマラソンも、誰にも頼まれていないことです。
ですので、自分が心折れてしまったら、どこにも強制力がないということです。
その状態では、絶対に一生頑張ることはないでしょう。
しかも、別に僕の人生にとって必須じゃないんです。

これらをやめる為の大義名分はいくらでもあります。

いくらでもあるといいましたが、例えば、
「意味もない頼まれてもいないことより溜まった仕事しろ。人に迷惑かけるな」
この大義名分刀1本で、容易に息の根を止めることができます。

いっそのことひと思いに…


…と、このような、
「走らないといけないというストレスを死ぬほど抱えたまま外に出る為のドアを開けることが出来ず何一つ生産性がなく無駄に過ぎていく数十分」
が毎週毎回キツすぎるので、心頭滅却して走ってきました。

先週は8キロ、今日は9キロでした。
来週はついに10キロの大台です。

今から憂鬱です。

走りたくないです。

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