消しても消しても湧き上がる食欲という名の負の感情をメタ認知し続けた結果〜本編〜

体調を崩してしまったせいでちょっと日がたってしまいましたが、
前回、ダイエットについて書いた記事の続きです。

「太っている自分であることが嫌だ」という感覚そのものを消すことができれば、
そもそもダイエットの苦しみなど産まれないのでは?ということに気づいてしまった

…というところまで書きました。

そうなんです。僕は、そんなあたりまえの事に気づいてしまったのです。
僕はなんとなく、僕だけが辛い思いをしている気がして、周囲を妬んでいました。

それについて考えるために、そもそも僕がなぜダイエットをしてるのかを分解してみました。
それは、辛い思いをしてまで痩せたいからです。
つまり、「ダイエットの辛さ」と「痩せたいという気持ち」を天秤にかけて、痩せたさのほうが勝っている状態です。
ということは逆に、現在ダイエットをやってない方は、「ダイエットの辛さ」よりも「痩せたいという気持ち」が小さいということになります。
「ダイエットの辛さ」は人によってさほど変わらないと思いますので、要は「痩せたいという気持ち」の強弱によって、ダイエットをやり続けるかどうか決まります。

こう聞けば単純で当たり前ですが、僕はいままで勘違いしていました。
周囲の「痩せたい痩せたい」と言っている人が、「僕と同じくらい痩せたいと思っている」と勘違いしていたのです。
そうなんです。「辛い思いをしてまで痩せたいと思っていない」だけなんです。

正確に伝えたいがために少々ややこしく書きすぎたので、シンプルにいいます。

その人たちは、
「『痩せたい』という煩悩を捨てている」のです。

僕は今まで、「食欲」という煩悩と戦ってきました。
しかし、周囲のダイエットをしていない人は、「痩せたいという欲」と戦っているとも言えます。
そもそも、痩せたいという僕の欲望の源は、「カッコ悪いと思われたくないから」です。
それは、人から少しでも良く思われたいという気持ちです。

これが、僕が未婚ならまだわかります。
女性にモテないことが、樋口家一族の子孫の反映につながるからです。
しかし、僕はすでに結婚しており、子供もいます。
カッコ悪くなることのリスクはそこまでないわけです。
なのに、ここまで痩せたいと思っているこの気持ちこそが、もはや煩悩なのでは?と気づいたのです。

また、「一度自分で決めたことを貫く」のも、煩悩かもしれません。
なぜそう思ってしまうのか。
それは、「そっちの方がカッコ良いと思っている」からです。
逆にいうと、「一度自分で決めたことを貫けない」人のことを、カッコ悪いと思ってしまっているということです。

実は僕は、なるべく他人のことをそうやって卑下しないように気をつけてきたつもりではあります。
しかし、自分に厳しいということは、無意識のうちに人に対しても同様に厳しく見てしまっているということなのです。
そして、その人をカッコ悪いと思う権利など、僕にはありません。
人は、それぞれの価値観で、それぞれのバランス感覚で生きています。
逆に考えると、僕に出来なくて、他人に出来ることを、他人の価値観で押し付けられるのは嫌なわけです。

僕は、自分に厳しいことが、ただただ正しいことだと思って生きてきました。
しかし、掘り下げて考えていくと、どうもそういった単純なことではないようです。

まず前提として、自分と他人を差別するのは違うと思ってます。
しかしそうなると、「誰にも迷惑をかけてないから」と、自分で自分自身を脅して突きつけている刃が、同時に他人にも向くことになる。
これが、不健康極まりない状態ないんじゃないかと、いまさらうすうす気づいてしまったという状態です。

んー。。
なんか、ざっと読み返すと、めちゃくちゃ当たり前のことをダラダラ言ってますね…
いや…、あれ?
僕これに気づいた時、自分で何かがパァーっと開いた感覚があったんですが、
文章にすると超普通ですね…あれっ…
僕は、どこかに寄って、ただ元いた場所に戻ってきただけなんでしょうか…
久しぶりに、文章を書きながら、迷子になってしまった感覚です…

あれっ…なんで?

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