好き嫌いのスコープ

僕は、焼いたレバーの食感が嫌いです。
あの独特の、ボソボソしたはっきりしない食感が気持ち悪いです。

かといって、レバーを食べないかと言うと、そんなわけでもありません。
焼き肉でレバーを食べますし、レバニラ炒めなど、むしろ好き好んで食べます。
レバーの味は好きだからです。

それでいうと、納豆の匂いと食感も嫌いです。
納豆のネバネバ糸を引く感じがなければいいのにと思っています。
しかし、納豆も好きです。しかも、食べ物の中でも結構上位に食い込むほど好きです。
レバーと同じように「味が好きだから」です。

つまり、レバーについても納豆についても、
食感や匂いといった、食べ物の一要素だけが嫌いだからといって、全体として嫌いになるわけはないということです。


音楽に関していうなら、
たまに、「○○というバンドが嫌いなんだよね」という人によくよく理由を聞いていくと、
「ボーカルの声が嫌い」とか、「ギターの音が嫌い」とか、「ドラムのやつの叩き方がキショい」とかいう答えが帰ってくる場合があります。
しかし、僕だったら、そうはなりません。

「ボーカルの声は嫌いやけど、メロディーとアレンジがいい」とか、
「歌詞はダサいけど、リズム隊の演奏がいいんよね」
とかそういった評価になります。
なんなら、一部分が嫌いだったとしても、他の要素が好きなら、楽曲自体は普通に聴けます。


人間についても同じです。

ひとそれぞれ、「嫌いなところ」はあるんですが、だからとって、「嫌いな人」とはなりません。
一部分が嫌いだからといって、その人自体を嫌いになってしまうのは、もったいないと思ってしまいます。


好き嫌いのスコープ(範囲)がどこまでなのかは、人によって違います。

他人の嫌いな部分を見た場合、
ある人は、「あいつのあの部分が嫌い」と言うかもしれません。
ある人は、「あいつが嫌い」と言うかもしれません。
ある人は、「あの会社が嫌い」と言うかもしれません。
ある人は、「あの業界のやつが嫌い」と言うかもしれません。
ある人は、「あの国が嫌い」と言うかもしれません。


ただまあ、嫌いなところが強烈すぎたり、嫌いなところの数が多すぎたりして、「嫌い」の総量が大きくなってくると、
なるべく大きくまとめてパッケージングしておいたほうが、なんというか、自分にとっても他人にとっても効率はいいんでしょうね。

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