青柳貴哉という男

先日、樋口、青柳、木村兄弟の概要を書きました。

今回は、1人をピックアップして紹介させていただきます。

その男の名前は青柳貴哉(あおやぎたかや)といいます。
青柳兄弟の兄です。
彼と出会ったのは、僕が中学二年のときの転校先、猪位金中学校でした。
(正確には、塾で会ってたんですが、話したことはなかったので、そういうことにしときます)

転校してすぐ同じクラスになった彼とは、すぐ仲良くなり、多くの時間を共に過ごしました。
恋愛の話、友達の話、ゲームの話、漫画の話、そして、お笑いの話。
そういえば、クラス行事では、同級生の前で二人で漫才を披露したこともあります。

そして、共に名門・田川高校に進学しました。
そんな、高校一年生の夏のことです。


中学時代、背は低かったものの、持ち前の運動神経でバレー部のエースを担っていた彼は、
高校のバレー部の顧問に、執拗にバレー部に入部するようすすめられました。
ただ、当時の田川高校バレー部は、部活の中で最も練習がきついとの評判。
きついことが嫌いだった彼は、顧問の誘いを延々と断り続けていたんですが、ついに断りきれずに、バレー部に入部せざるを得なくなりました。
そして、僕に相談してきました。

青「きょんちゃん(僕のこと)、一緒にバレー部入ってくれん?」
樋「は?バカなん?俺、高校入ったら音楽するっち決めちょったんよ。しかも、俺運動神経良くないし。
そもそも、バレー部っち、一番きついんやろ?」
青「いや、一人で入るのマジできついんよ」
樋「無理無理」

それから数日後、僕は、彼と一緒にバレー部の顧問に入部届を出しにいきました。


僕はその後、最も辛いと言われた夏休みを根性で乗り越えたあと、
「俺、音楽やりたいのになんでこんなきつい思いして続けよんやろ?」
ということで、バレー部を辞め、
彼も彼で、部活中に靭帯を切ってしまい、バレー部を続けることができなくなってしまいました。


高校卒業後、大学は違えど、同じ福岡市内の大学に通っていた僕らは、
それまでと変わらない関係が続きました(偏差値はだいぶ差があったけどね)。

大学卒業後、僕は音楽で飯を食っていくために上京しました。
その半年後に彼も上京してきました。
彼の上京の目的は、「俳優になる」ため。

数々のオーディションを受けるものの、ことごとく落選。
僕の家に遊びに来るたびに、難しいんよねー、と嘆いているのを、
「そんな甘いもんやないやろ」と聞いていました。


そしてある日、彼が僕にこう切り出しました。

青「よしもとの養成所、NSCに、俳優コースがあるんよね。」
樋「へー、入ったらいいんやない?」
青「で、知り合いに相談してみたら、俳優コースより、お笑いコースのほうが人数が多いし、為になるらしい」
樋「お笑いコースっち、芸人?まあ、いいんやない?」
青「それでさぁ」
樋「はぁ」

会話は続きます。

青「きょんちゃん(僕のこと)、一緒によしもと入ってくれん?」
樋「は?バカなん?俺、東京行ったら音楽するっち決めちょったんよ。しかも、俺面白くないし。
そもそも、よしもとの養成所っち、一番きついんやろ?」
青「いや、一人で入るのマジできついんよ」
樋「無理無理」

それから数日後、僕は、彼と一緒にNSCの入学届を出しにいきました。


僕と彼のコンビ、「ギチ」を結成してから、もう10年です。
よしもとは辞めましたが、ラジオを一緒にやってみたり、たまにMCをさせてもらったりしてます。
まぁ、そんな関係です。

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