2016年6月2日、Facebookへの投稿で、こんなのを書いてました。
成長するための一番の栄養が「難題に挑戦して失敗」じゃなかったら、失敗のリスクを背負って茨の道を行かずに済むのに…とか考えよったら、世の摂理に腹が立ってきた。
もし生まれ変わるなら、「簡単な挑戦に成功するのが一番の成長材料」摂理のパラレルワールドに生まれたい
https://www.facebook.com/higuchiki/posts/1023151941054980
今読むと、当時は絶対的にこう考えていたんだなと思いますし、それまで、こうやって成長してきたんだなとあらためて思います。
しかし、それから3年が経ち、少しだけ考えが変わったかもしれません。
具体的にいうと、
まずは、【成長するための一番の栄養が「難題に挑戦して失敗」】
だとは今でも思ってます。
また、それが、【失敗のリスクを背負う】ということだとも思います。
しかし、それがはたして、【茨の道】かどうかというと…
うーん、必ずしもそうじゃないんじゃないすか?…と。
3年前の理論には明確には記載しておりませんが、ある前提条件のもとに文章が書かれています。
それは、「難題に挑戦すること自体が辛いことであり、しかもそれに失敗することはなお辛い」という前提です。
それに比べ、今は少し感覚が変わってきたような気がします。
それは、「そもそも、難題に挑戦すること自体は辛いことではなく、やりがいがあって楽しいことであり、しかもそれに失敗したとしても、自分が成長する糧になる」ということです。
こんなの、昔からだれでも言ってて、当たり前のことなんですけどね。
じゃあ、失敗のリスクを背負って、難題に挑戦していたときに楽しめていたかと言うと、心の深い深いところでは楽しめていたような気がしますが、体や頭は全く楽しめてませんでした。
今は、やっとのことで、心と身体がひとつに近づいてきだした気がします。
そうなると、【簡単な挑戦に成功するのが一番の成長材料】な世界になんていかなくても、世の摂理はそのまま、生まれ変わらずして、「成功や失敗にかかわらず、難題に対して挑戦すること自体を楽しむ」というふうに切り替えていけるんじゃない?と、奮闘中です。
なんか、読み返してみると、超当たり前のことを言っている気がしてきました。
でも、一周してこの場所にたどり着いたことに価値があるのだと自分に言い聞かせてます。