いやなニュース

いやなニュースは、いつの時代も多いです。
ここに例として挙げるのも胸クソ悪いニュースが、定期的にワイドショーや週刊誌を賑やかせます。

加害者がいるとき、人は怒ります。
「信じられない」
「ふざけるな」
「この事件の加害者死んで欲しい」
ここに書きたくもないほど、もっともっとひどい言葉で怒り、罵倒します。

そんなとき、ふと思うことがあります。

「世間全体が、怒りたくて、怒るためのネタをずっと探しているだけなんじゃないか?」

ということです。
この文章の主語は、記者やジャーナリストだけではありません。
ネタを探してくる記者やジャーナリストを食わせているのは、社会全体なので、全員が共犯者なんじゃないかと思います。

こんなことを言うと、トンデモ科学信仰のスピリチュアル人間と思われるかもしれませんが、
加害者は自分の意志や、自分のミスで罪をおかしていると思っているかもしれませんが、社会のニーズに押し出されて、ニュニュっと表に躍り出ているだけなんじゃないかとすら思います。

人間は、日常生活で怒るという感情を制限されています。
でも、本来怒ると気持ちいいものです。
なので、怒っていい対象…、正確にいうと、「怒りという負の感情をぶつけても罪悪感を感じなくてすむ対象」を見つけると、嬉々として怒ります。

これは、「怒り」に限った話ではなく、すべての負の感情について拡張出来ると思います。
世間は、「飽きている」のだし、「暇」なんじゃないでしょうか。
とにかく刺激を、とにかく非日常的な体験や感覚を欲しているような気がします。


ゾンビ映画が流行る理由も、それだと思っています。
人間の体をぶっ壊すのは絶対にやってはいけないし、背徳行為ですが、
それが「化け物」だとなると、「なんの罪悪感も感じずに壊していい人間」になります。


事件の標的…つまり、社会的ゾンビを作り出すのは社会そのものであり、
マッチポンプをずっとやってるだけなんじゃないかという気になり、
絶望的な気持ちになることがたまにあります。

ポジティブな刺激を自分の脳みそと体で作り出すことが当たり前になれば、
社会がワンランクレベルアップするんじゃないでしょうか。

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