バンドを解散したときの話

昔やってたバンドを、解散した時の話です。
2016年7月5日に書いた文章です。


僕は大学一年のとき、大学の同級生の上條(カミジョウ)君と、ひとつ上の先輩の上月(コウヅキ)さん、そして僕の三人で、「金的三番街」というスリーピースバンドを組みました。

メンバーとは大学の軽音楽部で知り合い、学内ライブでコピーバンドをやっているうちに、徐々にオリジナル曲を作り始め、
福岡市内のライブハウスを中心にライブ活動をしたり、自主制作CDを作ったりしていました。
そして、この金的三番街は、7年間活動を続け、2007年に解散しました。

まず最初に言っておくと、前回書いた、音楽作家を目指して上京するということと、バンド解散には、直接的な関連性はありません。
上京を心に決めた段階では、仕事や学校の都合で福岡にいるメンバーと、
遠距離恋愛ならぬ、遠距離バンドを続けていくつもりでした。
それくらい、僕にとっては、このバンドはなくてはならないものでした。
当時の心境を振り返ると、僕のアイデンティティのかなり大部分を占めていたように思います。


では、なぜ解散してしまったのか。

2人に解散の話を切り出したのは僕でした。
家で一人で、映画のパッチギをレンタルDVDを見ていて、最後のラストシーン直前の一番いいところで、なんとなく見る気がフッと失せてしまい、
DVDを止めたあと、なんとなく思い立って2人に電話したのを覚えています。
そして、不思議な事に、あのとき急になぜそのような心境に至ったのか、今思い出しても気持ちがよくわからないのです。
確か、その直前までは、一瞬たりとも解散という二文字を頭に描いたことはなかったんじゃないかと記憶してます。

2人にはなにか理由を説明しなければならないと、一生懸命話したような記憶がありますが、おそらくちゃんと説明できてなかったと思います。

そして今になって、わからないなりに頑張って思い出そうとしてみると、とりあえず2つだけ、思い当たるフシがあります。


まず一つ目。

僕は、自由なモノづくりや自己表現が基本的には嫌いでした。
その理由としては、僕が完璧主義者だったということが一番大きな要因だと思います。
一旦着手した事を中途半端にやめることが出来ず、完璧な状態にまで仕上げないと気が済みませんでした。
そして、モノづくりとは、得てして正解がないもので、これで完成だと自分で思えるまでに相当な労力というか、執念が必要です。
というか、100%満足行くものを作るのは、理論的にはありえません。
さらに、超がつくほど面倒くさがりで怠け者体質の僕は、頑張ることが嫌いでした。
「でした」というか、ここは今でもそうです。笑
体は常に怠けたいと思っているのに、頭では作るものに対して妥協できない。
頭と体が乖離している感覚です。
さらに、妥協できない割に、能力やセンス不足で、満足行くものができない。
そこに対するストレスは常に感じていたように思います。
これは今でもすごく感じることが多いです。

ですので結局、7年間のバンド活動のなかで作った曲は、20曲程度だったんじゃないかと思います。
今の仕事のペースで考えたら、考えられないくらい遅いペースです。
特に、アマチュアバンドの作曲活動というものには、締め切りがありません。
いついつまでに曲が出来ないと怒られる、というようなものがありません。
プロを目指していたとはいえ、そのようなアマチュアリズムのなかで、モノづくりを続けていくことが自分には向いていないと思ってしまったのではないかと思います。


もう一つの理由として、父親の影響が大きいような気がします。

父親は今でも、地元の福岡県は田川で、建築会社「樋口建設」を営んでいます。
子供の頃、父親が仕事で建てた家に連れて行ってもらい、
「この家、お父さんが建てたんぞー。それで、家主さんがものすごい喜んで、お父さんのことを褒めてくれてのー。」
といった話を聞いていました。
その時、子供心に、自分が作ったもので目の前の人が喜んでもらうことはいいなぁ、と感じていたのだと思います。
そして、バンド活動をはじめたときに、どこかでふと、
「これは、不特定多数の誰かに向けてやっているだけで、僕が音楽をやらなくても、誰も困らないし、そもそも感謝もされないんじゃないか」
と思ったことがありました。今考えると、そんなことはないと思うんですが…。
まぁ、応援してくれる友達や、いつもライブに足を運んでくれたり、CDを買ってくれるお客さんや、それこそバンドメンバーに対する感謝の気持ちが足りなかったのでしょう。

それで、アーティストとして活動するより、クライアントワークとして、締め切りを設けられたうえで、目の前の人にいかに喜んでもらえるか。
つまり、音楽を作る、モノを作る対象がわかりやすいほうが自分に向いているのではないか、という感覚があったように思います。


とりあえずバンド解散の理由を2つ上げてみましたが…、
とてもこれだけで表現出来ているような気がしません。
やはり、未だに自分でもわかってないのです。
僕は、たまにこういった訳がわからないことを衝動的にやってしまうのです。

ただし、僕の中では、解散したことに対して、一ミリも後悔はないですし、
当時のメンバー、上條くん、上月さんともとても良い関係が続いています。と思います。
この前も、都内で一夜限りの復活ライブしましたし。笑
多分、一夜限りの復活とか言っといて、またやりたくなってどっかでやるでしょうし。笑

また、この二人には、それはそれは沢山の事を教えてもらいました。
いや、教わったという言い方よりも、一緒に見つけていったという表現のほうが正しいかな…。
いやいや、やっぱり「教わった」のほうが正しい、か。
ま、どっちでもいっか。


とりあえず、今日はここまで。

うーん。
今読み返してみると、ちょっとこの金的三番街に関しては、自分の歴史の中で大事なことすぎて、全然うまく言い表せてないのが悔しいです。
でもまぁ、こんな感じで終わっときます。

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