正論とは何かをググってみると、
「道理にかなった正しい意見や議論」とでてきました。
こうやって一見ポジティブな単語ばかり並んでいるにもかかわらず、印象が良くない言葉です。
この正論という日本語について、僕はいまだにバシっとニュアンスをつかめてないんですが、なんとなーく、
「理論的には正しいが、現場レベルでは逆に混乱する論理」とか、
「世の中一般的に正しいとされているだけであって、今の現場に適用できない論理」とかでしょうか。
まぁ、使用例はもっと他にあるような気がしますが、一般的にはそういったイメージかと思います。
それで、この正論って言葉は、殆どの場合は正論を発した人に対して反発するときに使う事が多いですね。
たとえば以下のような使用例が考えられます。
- それは正論なんですが、いざやってみたらことはそんなに単純じゃないんすよね
- それは正論なんですが、いざやろうとなると怖くてできないんすよね
- それは正論なんですが、世の中そんな正論だけで回れば苦労しないですよ
はい。
ここでいきなりですが、今からこの人達を好きか嫌いかで勝手に評価していきます。くれぐれも正しいかどうかではありませんので、あしからず。
1のヤツについて。
こいつは、嫌いじゃないです。
なぜなら、やってみて正論じゃ通じないと体験したからです。
体験から出た言葉は、説得力があります。
2のヤツについて。
こいつは、1に比べると少々劣りますが、「嫌い」とまでは言いません。
正論が正解だということを認めたうえで、正論を採用できないことを自分のせいだと認めているからです。この言葉には、嘘もごまかしもありません。
臆病なだけです。自分の実力をちゃんと客観的に把握しようとしています。
3のヤツについて。
3はダメです。結構嫌いです。
まず、問題が自分ごとになっていませんし、問題をぼやかしているだけ。
正しい
→正論
→正論というのは、現場に適用できない理論だ
→採用しない
…という論理展開をしているんだと思います。
これは、ただの詭弁の理論だと思います。問題を自分ごとから一般論に責任転嫁してぼやかしているだけです。
ちなみに僕自身でいうと、正論を唱える側であることが多いです。
僕の思考の癖として、論理的かつ客観的に物事を考え、いくら感情がついてこなくても、論理に従うことが多いです。
ですので、正論を正論のまま突き通して遂行することが多いです。
頭で考えて出した答えに対して、頭で考えてアラが見つからなかったらやってみたほうがよくね?やらんやつバカなん?…という考えになりがちです。
その一番いい例が結婚です。
SNSで結婚相手を募集して本当に交際期間0日で婚約したんですが、これには僕なりの論理が通っています。
僕の論理を人に説明すると、「それは正論だけど、普通は実際には出来ないよ」と言われることが多いです。
でも僕からすると、「正しいのに出来ないというのは、何かがおかしい。それは、正しくないことだ」と思うわけです。
正しくないと思ったらしなければいい。正しいと思ったらする。それだけで動いています。
現場レベルでも「正しい」と思えるくらい、「正しい」という言葉の精度を上げていけばいいだけの話だと思ってますので。
んー、今全部見直すと、これ自体が、「THE 正論」ですわね。
はぁーあ。