悟るだけでは満ち足りない

仕事も、結婚も、子育ても、最終的には自分自身が悟りを開くためにやっています…というと大げさすぎますね笑。
悟りとはまでは言わずとも、ちょっとでも、世界の仕組みを理解することに興味があります。

ただ僕は、理解するだけでは満足できません。満ち足りることができません。

たとえば、世を捨てて、山奥で一人、毎日毎日滝に打たれ続けて、孤独の中で死ぬ間際にこの世の全てを理解できるということが約束されたとして、僕はその人生に対して満足できるかというと、おそらく無理だと思います。
はっきりいって、「なんて自己中心的な奴だ」と軽蔑します。

僕の人生の目的は、世の中を最適化、アップデートすることです。
縺れた糸は解きたいですし、欠けたパズルのピースがあるなら、どっかで探してくるか作るかして埋めたいです。

そういった意味では、僕がどれだけ高尚で普遍性をもちあわせた真理を見出したとしても、自分の中だけでブラックボックス化した状態のまま死んでいくのであれば人類をアップデートできません。
僕という個体がいくら高尚な存在になったとしても、種の保存の目線でいうと生きる価値がないと思ってしまいます。

むしろ、世を捨てて孤独の中で何も後世に残さないくらいなら、
何も悟らず、何も為さず、クズのような人生を生きて、それを見た僕以外の人間が「あぁはなりたくないな」と反面教師にしてくれたほうが、まだマシです。
ある意味、世の中にインパクトを残せているので。

ということで、僕がブログをはじめた理由もそうですし、僕が今、田川で施設を運営しているのもそうです。
あぁ、とにかく、良い影響か悪い影響かについては、この世がカオスである以上、どうせ誰も判断できないので無視するとして、
少なくとも徹底的に世の中をかき回したいと思います。
特に僕が生きている今の時代において、かき回さずに淀ませるのは良くない…というか、マッチしていないという事実は、なんとなく肌感覚で解っています。


…と、今現在の感覚としてはこんな事を考えてますが、
いざ一人で悟った人間は、上で僕が書いたようなことすら、ただの自意識にすぎず、煩悩だと言うかもしれませんね。
なんなんでしょうね、生きるというのは。
まだ全然わかりません。

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