ねばっこい食べ物

昨日の記事です。

ってことで、いただいたお題の中から、一つ選んで書いてみます。
…と思ったんですが、意外と最初に書くテーマをどれにするか悩みました。
悩んだ末、「ねばっこい食べ物」を使わせていただくことにしました。
ありがとうございます!

ねばっこい食べ物

ねばっこい食べ物といえば、想像するのは、まず納豆でしょう。

ちなみに、納豆を食べるとき、皆さんはどうやって食べるでしょうか。
発泡スチロールのパックをあけ、ビニールをとり、タレかけて混ぜる、もしくは、混ぜてからタレをかける。
そうやって親や先生や友達から教わり、僕もずっとそうしてきました。
しかし、約一年ほど前に、納豆を食べようとしたその時、
僕の頭にふとある一言がよぎりました。

今まで、俺は一体、何の為に納豆を混ぜていたのだろう?

ということです。
そう思った僕は、一度思い切って、納豆を混ぜずに食べてみました。
つまり、パックを開け、ビニールをとり、タレをかけて、そのまま食べてみたのです。
なんと、混ぜたときと同じくらい美味かったのです。


おそらく、はじめて納豆を食べた時、親に納豆を混ぜて食べるように教えられ、給食で納豆が出てきたときも、何も考えずみんなが思う通りに、混ぜてきました。
その後、大学に行き、寮で食べるときも、上京して一人暮らしをしたときも、
結婚してすぐ、食卓で妻に出してもらった納豆も、全部そうです。
今まで、惰性で納豆を混ぜてきたのです。

その時、僕の中で、今まで納豆を食べてきた全てのシーンが走馬灯のように頭によぎりました。
あの時間に、意味はなかったのです。
常識という魔物に頭を支配され、物事の本質が見えなくなっていたのです。

その次の日から僕は、納豆を混ぜることはなくなりました。
あの煩わしい面倒くさいだけの十数秒の作業がなくなったと思うと、心が軽やかに、まるで飛び立って行けそうな気分になりました。


そして、数ヶ月前のことです。

友人と食事をとっているとき、メニューに納豆がありました。
いつものように、混ぜずに納豆を食べる僕を見た友達が、指摘してきました。

そこで、僕は今まで混ぜてきたことが間違いだったことをしっかりと説明して、「お前も混ぜないで食べていい。常識にとらわれるな」と諭しました。

すると、友達から以下のような言葉が帰ってきました。

「樋口、それはダメだよ。マナーが悪いよ」

と。

「納豆を混ぜずに食べる姿の違和感は、気になりすぎるレベルだよ。
箸の持ち方が悪いのと同じ。はじめて会う人が、目の前で納豆を混ぜずに食べていたら、ちょっとギョッとして、育ちを疑ってしまう。」

とまあ、ここまでストレートに言われたわけではありませんが、こういった内容の事を言われました。
そこで僕は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けました。
なぜなら、完璧に一理あると思ってしまったからです。

僕は、自分の食事の効率性ばかりを考えて、その姿が客観的にどう見られていたか、全く考えてなかったのです。
誤解のないように言っておくと、友人の感覚が正しいかどうかはこの際問題ではありません。それは、単に価値観の違いの話になるからです。
問題は、僕が、その友人の言葉を聞くまで、自分を客観視出来ていなかったということです。


それ以降、はじめての人とご飯を食べるときは、納豆を混ぜる数十秒をケチることなく、マナーを守るために混ぜることにしました。
でも、身内しかいない場で食べるときは、混ぜずに食べてしまいます。
早いから。

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