氷室京介 〜LAST GIGS〜

先日、僕の職場であるいいかねPaletteに、小〜中学校で同級生の友人が訪ねてきました。
彼は、僕がエレキギターをはじめた中一のころ、ほぼ同じ時期に音楽をはじめました。

それから、20年以上たった今、彼はパンクバンドを組んで、福岡市内で活動しています。
同じ時期に音楽をはじめた同級生で、いまだに音楽に関わっているのはほとんどいません。

そんな彼から、突然の「ここでレコーディングしたいんやけど」の一言。

その言葉を聞いた瞬間、ノスタルジックさ、嬉しさ、未来への希望、その他諸々が入り混じった、なんとも形容しがたく、たまらない気持ちになり、二つ返事で了承しました。

ってことで、今回は、そんな感じの過去の記事をサルベージします。

プラットフォーム:Facebook
投稿日:2016年5月22日

あの時、あれがなかったら、
人生は全く違うものになっていたかもしれない。

こういう経験は、誰にでもあることだと思います。


もう、20年以上前の話になります。

当時、僕は中学一年生でした。
地元でも有数の…言い方が難しいですが、平均戦闘力の高い中学校に入学しました。
おマセの同級生たちは、特に戦闘力の高い先輩方に影響を受け、ケンカ、バイク、そして、ロックに目覚めだしました。
そんな流れにイマイチ乗りきれなかった僕は、そんな同級生の会話を、半分シラけた気持ちで聞き流していました。

「マリオネットのイントロがさー…」
「BOØWYって昔は漢字で暴威でさー…」
「わがままジュリエットの2番のAメロのさー…」

何やら、「ボーイ?」なるバンドがいる…いや、昔いたらしく、それが今、同級生の間で、流行っているということは、なんとなく知っていました。


ある休日、親から頼まれて近所のパン屋にお使いにいったときのことです。
どれにしようかなとパンを選んでいる時に、ふと店内に流れているBGMの歌詞が耳に入ってきました。
「ピント外れの〜 OH〜 わ〜が〜ま〜ま〜ジュリエット♪」
わがまま…ジュリエット…?あぁ、なんかあいつらが話してた、「ボーイ?」やったっけ?あの人達の曲か。
そのままパンを選ぶ手が止まり、その一曲を聴き終わったあとに、
自分の中で何かが変化しているのを自覚しました。


早速次の日に近くのレンタルCDショップに行き、BOØWYのベストアルバム、「SINGLES」を借りてテープにダビングし、
友達に頼み込んでバンドスコアを借り、
家にあった父親のクラシックギターで、「CLOUDY HEART」のイントロとギターソロを必死に練習しました。


もともとピアノを習っていたこともあり、人並み以上に音感もあった俺は、みるみるうちに上達していったのですが、
チョーキングもまともに出来ず、フレット数も少ないクラシックギターに限界を感じ、
勇気をだして、父親にエレキギターを買ってくれと懇願したところ、
「バンドをやると不良になるからダメだ」の一言で、一蹴。
それでも諦めきれずに何度も何度も頼み込んでも、「ダメだ」の一点張り。

当時の小遣いではギターなど自分で買えるはずもなく、湧き上がる感情が溢れ出てしまった僕は、
当時家にあったカラオケセットのマイクをクラシックギターにあてながら、
エレキギターを買ってもらえない悔しさに涙を流しながら、必死にクラシックギターをかきならしていました。
そんなことをしても、エレキギターの音なんか出るはずないのに。

そんな僕をみて、熱意が伝わったのか、流石に不憫に思ったのか、
ある日父親からの、
「お前の気持ちはわかった。よし、買ってやろう。そのかわり、勉強頑張れよ」
という言葉。

こうして、僕は、父親と二人でリサイクルショップに行き、
人生初めての自分のエレキギター、2万円のAria Pro II ストラトタイプのギターを手に入れることができました。


そして、学校から帰ってはギターを弾き、
休日は朝から自分のギターをかついで友達の家に行き、
ギターを弾いたり、
BOØWYのCDを聞いたり、VHSを見ながら、
このライブの時の氷室の衣装はどうだとか、
鏡の前に立ち、布袋のステップの踏み方はこうじゃなくてこうだよねとか、
「WORKING MAN」の松井のダウンピッキングがどうだとか、
ここのまこっちゃんの表情がいいよねとか、
そんな話をダラダラしているうちに外が暗くなり、
また帰ってギターの練習をする、といった生活がはじまりました。


そして、中学を転校し、高校、大学と年を重ねるにつれ、
色んなバンドのコピーバンドを組み、
オリジナル曲を作ったりするようになったり、
DTMを覚えたりする中で、
世の中に溢れる色んな音楽に触れる機会も多くなっていき。

いつしか、BOØWYの曲を聴いたりすることはなくなりました。

 ・
 ・
 ・

そして時は過ぎ、今日。2016年5月21日。
引退表明をした氷室京介のラストライブツアー、LAST GIGS 東京公演初日。
運良く先輩からチケットを譲り受け、
人生で最初で最後の生の氷室京介を体感してきました。

1曲目、Dreamin’のイントロが流れた瞬間から、
今この目で見ている風景と、あのころ擦り切れるほど見たVHSの映像が、重なりました。

昔、死ぬほど憧れ、見たかった男の姿を、聴きたかった歌を、
20年という時を経た今、こうして体験している。

そして、アンコール最後の曲「SUMMER GAME」で涙で声をつまらせ、歌えなくなるその姿をみて、
言葉では言い表せない感情が爆発してしまい、涙が溢れてしまいました。


もしあの時、パン屋で「わがままジュリエット」を聴いてなかったら。
もしあの時、父親の「バンドをやると不良になる」という言葉に負け、ギターを諦めていたら。

今こうして、音楽の仕事をしていることはないかもしれません。
僕の今の人生が、良いのか悪いのかはわかりませんが、
というか、ある意味父親の心配通り、不良になっていると言えなくもないですが、
少なくとも、この生き方を選ぶきっかけを作ってくれたのは、間違いなくBOØWYの4人です。
そして、その中心人物である、氷室京介のラストライブ。

僕はおそらく、今日という日を一生忘れることはないと思います。

そして、氷室京介が僕の人生を変えたように、
僕も誰かの人生を変えられるような人間に、なりたいと思っています。

氷室京介 〜LAST GIGS〜” への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です