ファクト認識は難しい

たとえば、あるプロジェクトのアイデアがあったとして、
「これをこうすれば成功するだろう」と想定して、プロジェクトを進めたところ、失敗したとします。

そこで僕らは、失敗の原因を見出します。

「ここがこうだと思っていたが、実際はあれがああだったからああなった」と。

さて、これがどれだけ正確だと言えるでしょうか。


そして、失敗の原因がわかると、改善します。
すると、思ったとおりに結果が出ました。

ここで、僕らは思います。

「やはり失敗の原因はあそこだったのだ。そこを改善したから成功したのだ。」と。

さて、この時点ですら、どれだけ正確だと言えるでしょうか。


結果とノウハウのデータをある人に伝えところ、そのとおりに実行しました。
すると、成果が出ませんでした。

さて、原因はなんなのでしょうか。


世界の中で僕らが見えている場所は、本当に限られていて、100%「見える」ということなどありえません。
少なくとも、人の心の中間では見えませんし、人の心がみえたとしても、文脈や時代背景なども含めると、わからないことだらけです。
しかもそれが、刻一刻と姿を変えて、同じ場所にとどまることはありません。

事実は事実だと思っていたら大間違いです。
真の事実など存在しません。
そこには、人の認識、人の解釈があるだけです。
そして、その認識や解釈は、人によって特性があり、バイアスがあり、認知範囲が違います。

自分の認識を真の事実に近づけていく、その精度をいかに上げていくかが大事だとはわかっていながら、行き着く先に果たして真の事実などといったもの存在するのかと、不安になるときがあります。

だとしたら、僕らは、どこに向かって走っているんでしょうか。

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