心休まるとき

今日言われて、またあらためて思ったんですが、
ここ最近、スイッチをオフにしている日が一日もないです。
仕事が休みのときは、虎之介の保育園の予定があったり、
家族でどこかにでかけたりしています。

もちろん、家族といる時間は大好きなので、家族とでかけることそれ自体は全くネガティブではないんですが、その時間が「心休まるとき」かどうかでいうと、そうではありません。
「心ウキウキするとき」という表現のほうがしっくりきます。

つまり、家族といるときの時間の自分にとっての役割は、積極的、活動的な癒やしだと言えます。

対して、一人で何もしない時間というのは、前述の「心休まるとき」です。これは消極的、非活動的な癒やしです。

ここ最近、この時間が、足りてない感覚があります。


もちろん、僕なんかより妻のほうが、四六時中虎之介の面倒をみているので、
妻と比べてしまうと、それはもう僕なんかはめっちゃくちゃ休めているほうです。
ただ、あくまでもそれは、「妻と比較して」であって、
絶対的な視点で見ると、僕も妻もふたりとも「心休まるとき」なんてものは最近ほとんどないです。


…といっても、ここは本当に誤解されたくないんですが、
決して悲観的なわけではないんです。
そもそも、僕は会社を経営しながら田川と福岡市内の2拠点を行ったり来たりし、妻はフルタイムで働きながら2歳半の息子を核家族で育てている時点で、時間が余るわけがないです。
それは納得の上なので、全て受け入れています。

ただ、普通に、客観的に、事実として、「心休まるときがないなぁ」と思っています。


似たような状況が、東京にいた頃にありました。

いや、ありましたどころか、ほぼずっとそうでした。
東京で働いていた頃は、ほぼずっとそうで、心身ともにボロボロになり、
ある一定のラインを超えると心か身体がSOSサインを出してぶっ倒れ、また回復しては懲りずに限界まで活動し…というようなことを繰り返していました。

状況的には同じで、たしかに心身ともにとても疲れています。
疲れてはいるんですが、
実は、深刻なストレスを抱えているというわけでもないです。
当時と今で大きく違うことは2つで、
一つはすべての活動を行うかどうかは自分に選択肢があること、
もう一つは、すべての活動を楽しんでいること、です。

現在は、やりたくない活動はほぼやっていません。
それだけで、深刻さのレベルがまるで違います。
おそらく、僕よりも少ない活動量なのに、僕よりも大きな精神的ストレスを抱えている方はたくさんいるでしょう。

そう考えると、
日常生活の中で、「やりたくないことをいかにやらないか」ということの大事さを再認識できますし、
やりたくないことをやらないでいい状況に自分を持っていくパワーや軽さを意識して生きていくことがいかに人生を大きく決めてしまうか、とも思います。

…あ、唯一、唯一ですが、毎週欠かさずやってる10kmのランニングだけは、
もうほんとマジで死ぬほどきついです。
それくらいですね、今の活動で本気で深刻だと思っているのは。

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