べき

ずっと言われていることでもありますし、特に最近意識していることでもありますが、生きる上でなるべく「べき」という感覚をなくしたいと思っております。

世に絶対的な正解はなく、「これが正解だ」と思っていることのほとんどは、ただの経験から来る慣例に過ぎず、常識や過去の自分に囚われていてはアップデートできない、といったところでしょうか。

しかし、これだけ意識していても、やっぱり、

箸は美しく持つべきですし、

ご飯は1粒残さず食べるべきですし、

人に対して指を刺さないべきですし、

人にご馳走してもらったらちゃんとご馳走様をいうべきですし、

畳に靴で上がらないべきだと思っています。

この感覚と、最初に上げた感覚が同居してしまっていていることが、自分の中でまだうまく折り合いがついてないんです。

うーん…、マナーや節度や美しさだけは手放したくないと思ってしまっているうちはまだまだなのかなぁ…と思いつつ、できれば捨てたくはないんですよね。

どうしたものか。

いや、どうかんがえるべきか。

べき” への1件のフィードバック

  1. すごく共感します!
    自分はそういう時、
    「はなてばてにみてり」
    禅の言葉を思い返してます。

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