原因なんてわかるほうが難しい

最近、息子の虎之介(2歳5ヶ月)がだいぶしゃべるようになってきました。意思疎通のレベルがあがってくると、より複雑なコミュニケーションがとれるようになり、今までに増してめちゃくちゃ可愛いし、一緒にいて楽しくなってきます。

そんな虎之介ですが、お風呂がずっと嫌いです。
だいたい僕が家にいるときは僕がお風呂担当なんですが、お風呂入ろうよと促しても、のらりくらりと理由をつけて入ろうとしません。
なかなか入らないので、条件をつけて約束をします。
「あと1回トーマスのテレビみたらお風呂はいるよ」
といった具合です。
そして条件を満たしたのでお風呂に連れて行こうとするとわんわん泣き始めます。

ここで、僕はいつもききます。

「なんでお風呂がイヤなん?」

しかし、虎之介は全然答えてくれず、引き続きわんわん泣き続けます。
その次に僕が言うのは、

「なんでイヤなのか教えてくれんとわからん。虎之介はちゃんとおしゃべりできるんやき、泣いてばかりじゃないでちゃんとおしゃべりして教えて」

ってかんじです。

しかし、最近思うところがあります。

そもそも、虎之介自身が、なぜ自分がお風呂がイヤなのか、理解してないんじゃないんじゃないか?ということです。
なぜなら、大人であっても、自分の感情や感覚の原因を明確に理解することなど不可能に近いからです。


こんな経験はないでしょうか。

なんとなく、月曜に仕事にいくのがイヤだ。
仕事が嫌いだからだ。
興味がない職種だからだ。
友人に、今の会社をやめるべきかどうか相談した。
色々話していると。実は、職種が嫌いなんじゃなくて、課長が嫌いなだけだった。

みたいなことです。

人間には、まず最初に感情や感覚が存在します。
そして、それらが湧き上がる原因を分析しているのは、脳みそです。
ということは、脳みそに適切なデータを供給し、適切な論理思考で考えてはじめて原因が特定できます。

さて、またここで注意すべき点があります。
それは、「原因なんてものは、一つだとは限らない…どころか、一つであるというケースのほうが少ないんじゃないか」ということです。

しかし、人間は課題が巻き起こると、対処しないといけないケースがほとんどです。
そうなってくると、原因を必死で考え、その原因にたいしてクリティカルな解決法を考える必要がでてきます。
一つではないとわかっていながらも、問題解決に向かわないといけないので、合っていようが間違っていようが、仮定して進むしかないわけです。

いままで人間の感情にフォーカスしてきましたが、実は社会現象のほとんどはそうですし、場合によっては物理現象だって同じです。
たとえば、ある国でインフレーションが起きたとして、それが起こった原因なんてものは厳密には誰にも解明できるわけがありません。
頭がいい学者がよってたかってデータを採集し、考え、検証してやっとある程度想像できるレベルでしょう。

もちろん、物事の原因を追求する必要がないとは思いません。
むしろ、生きていくためには必須の活動です。

しかし、「原因なんてわかるほうが難しい」と心から認識できているかどうかは、間違った判断をしないために最も重要な前提条件ではないでしょうか。

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