家族に飯を食わせる

ホテルニューオータニが、外出自粛応援ってことで、門外不出の料理のレシピを公開したことがニュースになってました。
ってことで、今日は、家族の晩飯のために、ニューオータニ流ナポリタンを作ってみました。

レシピはこちら
https://newotani-osaka.hotel-recipes.net/note/17.html

ちなみに、僕は家ではほとんど料理をしません。
今はGW中で妻が一人で息子をみるのはさすがにきついだろうということで、ずっと家にいる中で、少しでもなにか自分にできることを…と、先日野菜炒めを作ってみたんですが、息子の虎之介にはお気に召さなかったようで…。

一生懸命作ったにもかかわらず、ほとんど食べてもらえませんでした。

で、今回はそのリベンジだということで、ドキドキしながら食卓にもっていきました。

すると、ケチャップの匂いにやられたのか、「いただきます」も言わずにパクっと一口食べ、
そこからは一心不乱に手を止めることなく、
「おいしいねー。これおいしいよねー。おいしいねー。」とバクバク一人前を平らげたかと思うと、さらにおかわりを要求してきました。


そもそも、自分が作った料理が、人の口に運ばれた、おいしいねといって食べてもらえるってことが嬉しいのは経験があるので知ってたんですが、
それが、こと自分の息子となると、ここまで嬉しいのか…と、自分でびっくりしました。


「家族に飯を食わせる」ことは、大黒柱である父親の役割です。
言わずもがな、家族のために獲物をとってくる風習のない現代社会では、「飯を食わせる」という言葉は、お金を稼ぐことと同意です。
しかし、今日はリアルに飯を食わせ、おもいっきりダイレクトにポジティブな反応が返ってきたところ、今まで感じたことのない種類の喜びを感じました。

おそらく、普段、僕の行動によって虎之介に飯を食わせるにいたるまで、段階をかなり挟むで、僕と虎之介のあいだにはだいぶ距離があるんです。

とある一例を書いてみます。
営業をして、案件を受注し、制作をし、納品をし、その結果会社に売上がたち、その売上から役員報酬がでて、銀行に振り込まれたものが樋口個人の世帯の収入となって妻にわたり、妻が食材を用意して調理し、子供が食う。

普通はこんな感じになりますね。

しかし、料理はもっと単純です。

料理をつくる→子供が食う

です。「家族を食わせる」ための行動から結果までが早いのです。
だから、ここまで「俺が食わせてやった」という感覚になったのだと思います。
そして、それに喜びを感じました。

この、「自分が世界に影響を及ぼしている感覚」って、モチベーションに直結することが多いですよね。
大企業の社員よりもフリーランスのほうが、仕事の結果がでたときにモチベーションに直結するっていう僕の持論があるんですけど、こういうメカニズムなんじゃないかと思ってます。

もちろん、今は全然稼げてないので、お金を稼ぐための活動がメインにやっていく必要がありますし、ありがたいことに普段は妻が料理をしてくれているんで甘えてますが、
せめて家にいて時間にあるときは、「家族に飯を食わせる」ってやつを直接やっていきたいと思ってます。

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