おこられるということ

おとなになると、いろいろな責任をおって生きています。

きょう、ぼくは、大きなミスをして、おせわになったひとに迷惑をかけました。
…いや、現在進行系で迷惑をかけています。

ひとは、悪気はないのにミスをしてしまういきものです。
でも、事実を偽ることなくすべて正確に説明し、その上で悪気がなかったことが伝わったので、おこられることはありませんでした。

いくらおとなになっても、おこられることはいやなものです。
だから、おこられなかったことで、少しほっとした自分もいます。
しかし、また少し冷静に戻ったところで、
おこられなかったことにより、僕のなかで責任の埋め合わせがうまくできておらず、さらにどうしようもない気持ちになっています。

しかし、もう現時点で僕にやれることはすべてやれることはやったので、あとは人に任せて、これ以上のトラブルなくプロジェクトが進むように祈るだけです。
考えても、もはやしょうがないところまできました。
だから、考えるのをやめます。
すべてがうまくいきますように。

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