正しいと思ったことを口にだすかどうか問題

小学校、5年か6年、どちらかの時の話。

うちの小学校では、「呼び捨て禁止」というルールがありました。
同級生に対して、名字や名前で呼び捨てにしたり、「お前」と呼んだりすることも禁止されていました。

うっかり規則を破ってしまうと、帰りのホームルームで同じクラスの友達から全員の前で告発され、
「僕は、○○君を呼び捨てにしてしまいました。すみませんでした。」と、懺悔を要求されました。

個人的には、友達を呼び捨てで呼ぶかどうかは、親密度によって変わるものだと思っていましたし、
むしろ親密であればあるほど呼び捨てにしたほうが良いとすら思っていましたが、
それが学校が決めたルールだったので、当時小学生だった僕は、反抗することもできず享受していました。

しかし、ある時期から、いつのまにか「あんた」と呼ぶことも禁止するというルールが追加されました。
これには、さすがに僕も「?」が頭に浮かびました。
しかし、ホームルームでは毎日の方に、うっかり「あんた」を使ってしまった友達が、
バンバン吊るし上げられ、懺悔を強要させられていました。


ある日のこと。
詳しくは覚えていませんが、学級会か何かだったと思います。
僕は担任の先生を含めたクラス全員に提案しました。
「『あんた』は呼び捨てじゃないと思うので、使っていいと思いますがどうでしょうか?」と。

すると先生が言いました。
「でもね、もしかしたら『あんた』と言われて、嫌に思う人もいるかもしれんよね?」
それに対して、おそらく僕は納得できない顔をしていたと思います。
そんな僕の顔をみて、
「じゃあ、今からみんなに、質問しましょう。『あんた』と言われてもいいよという人は、手を挙げてください。その人に対しては、言ってもいいことにします。
ただし、手を挙げなかった人には、今までどおり『あんた』と言ってはいけません。」
と先生が言いました。

質問を投げかけたところ、手が挙がったのは、
僕と、井上学くんという同級生の2人だけでした。
残りの全員は、手を挙げませんでした。

まず前提条件として、僕は、
「『あんた』と言われてイヤな人などいるわけない」と思っていました。

その上で、挙手の結果を見た瞬間、まず思いました。
それは、「たぶん、質問を逆にして、『あんた』と言われたくない人を挙手させたら、こんな結果にならなかったんじゃないか?」ということです。

整理します。
先生が決めたルールは、「『あんた』はだめ!」です。
それに対して、実際に投げかけられた質問に手を挙げるということは、先生に対する反抗という意味にもとれます。
その状況下で、わざわざ手を挙げるという積極的な行為で意見を表明することはかなりハードルが高いです。つまり、めちゃくちゃ手を挙げにくい状況だったということです。

さらに、思いました。
頭の中で「絶対にこれが正しいと思う」という明確な答えが出たとしても、
最初に声を上げるのは難しいし、
その意見がマイノリティーだったり、強い立場の人と逆の意見だったとしたら、
それに賛同する人は少ないということです。

当時の僕には、なぜ『あんた』が禁止だったのか、全くわかりませんでしたし、
今振り返っても、どこの角度からどう考えても、いけないことだと思えません。
ということは、小学生の時の僕の答えは正解だったと今でも思っています。


もちろん、常に自分の意見を貫き通すことだけが正しいと思っているわけではありません。
ある時点の僕にはわからないことでも、時間が経つとわかってくることもあることを知っています。
その瞬間に納得できなかったとしても、必ずしも意見を曲げないことがいいこととは限りません。
しかし、あまりにも理不尽だと思ったときは、少なくとも疑問を投げかけることくらいは出来るはずです。

当時の僕が欲しかったのは、納得感だけだったのではないかと思います。
もしかすると、学級会で意見をしたときの僕は、
自分の意見を通したかったのではなく、
先生から『あんた』禁止ルールについてしっかりと理論立てて説明を受け、
心から納得させてほしかったのかもしれません。


25年以上たった今でも覚えている、小学生だったころのワンシーンですが、
いまだに、たまに似たようなことあるなぁ…と、思っています。

正しいと思ったことを口にだすかどうか問題” への1件のフィードバック

  1. すごく分かります。
    特に大人になってしまうと発言できる人って少ないですね。

    発言してしまうと、面倒な人って思われてしまうし。

    自分はつい発言してしまうんですけど、そうしてしまった事によってものすごいストレスに襲われたりします。

    どうしたらいいんかな。
    よく分かりません。

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