タクシーの運ちゃん

その昔、タクシーに乗った時の話です。


渋谷で用事があり、終電を逃してしまった私は、自宅へ帰ろうと、一人タクシーに乗り込んだ。

家の住所だけを運転手のおじさんに伝えたあと、少し酒が入って気持ちよくなっていた私は、ウトウトし始めた。
そこで、運転手さんが話しかけてきた。

運「あのー、○○通りと○○通り、どちらを通って行きますか?」

樋「あ、お任せします。早い方でお願いします」

運「てことは、○○通りでいきますね。わかりました。」

正直、通る道など、どうでもいい。
家に着くまで寝かせてくれ…と思いながら目をつぶると、また話しかけてくる。

運「ちなみに、今から通るこの道なんですけど、もうちょっと早い時間帯だと、一本向こうの通りの方がいいんですよ。
でも、今は工事があってるからなんやかんや〜」

樋「はぁ、そうなんすか。」

うるせぇ…こっちは道に興味ないんよ…

運「ちなみに、ここを左に曲がりますね。おそらく普段あまり通らない道だと思うんですが、騙されたと思って今日はこの道を通らせてください。
ちなみに、この道を通って、いつもより時間がかかってしまったら、お代はいただきません。」

樋「えっ?いいんですか?」

ここまで熱く語られると、次第に運転手に興味が湧いてきた。

樋「おじさん、道のことものすごく好きですね。」

運「好きも何も、仕事ですから。これでお金をもらってますから。私はこれしかできませんから。」

樋「なるほど…ちなみに、カーナビは使わないんですか?」

運「使わないです。カーナビって、通りやすい道しか通らないんですよ。お客さんを乗せてる時は、自分で通ったことある信用した道しか使いません。」

樋「なるほど。ちなみに、お客さんに道のことで負けたと思ったことはありますか?」

運「ありません。」

プロだ。
そうこうしている間に、家に着いた。

運「お客さん、着きました。でも、間に合ってよかったですね。」

樋「え、何にですか?」

運「今日、ワールドカップの試合ですよね。もし試合開始までに到着しなかったら、
この自分で買ったiPadと、テレビ用チューナーを使って見てもらおうかと思ってました。」

サッカーにあまり興味がない私は、その日に試合があるかどうかも知らなかったのだが、運転手さんのその心遣いに、ものすごく幸せに気持ちになった。
プロとはこうあるべきだ。
自分は、今の仕事において、このおじさんほどプロとしてのプライドとこだわりを持ってやれているだろうか。

樋「ありがとうございました。良い方に出会えて嬉しかったです。」

運「はい!またお願いしますねー!」

そうして、そのタクシーは、私の家の前の一方通行の道を颯爽と逆走していった。

Fin.

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