ノンストレス

ストレスという言葉が使われだしたのは、25〜6年前のような気がします。
もしくは、単に僕がストレスという言葉を知ったのがその時期かもしれませんが。


子供の頃は自由ではありません。
行きたい時に行きたいところに行けないし、
買いたい物も買いたいときに買えないし、
好きな子がいてもどうしていいかわからず悶々とするし、
家に帰ると、親のタイミングでご飯を食べさせられ、
風呂に入りたくない日も風呂に入れさせられ、
まだ起きていたいのに寝させられたりします。

かといって、大人になると自由かと言われると、言うまでもなく自由ではありません。
毎日、やりたくない仕事をしたり、
嫌いな人と付き合ったり、
手の皺から老いを感じてしまったり、
借金で悩んだり、
劣等感に苛まれたり、
人生の行き先がわからなくなったりします。

人は、一生を通して、「完全無欠の自由」を一瞬たりとも味わうことがなく死んでいくのではないかと想像することがあります。


僕は、子供の頃、駄菓子のねるねるねるねが好きでした。
大人になって、たまたまスーパーに入った時に、ねるねるねるねを見つけた僕は、テンションがあがって、つい買ってしまいました。
はねるように家についた僕は、楽しみで楽しみで、落ち着く間もなくパッケージを破り、ねるねるねるねを作って、口にほうばりました。

結果、まずくて嗚咽がでました。
オェーっ!
って感じでした。

誤解のないようにいっておくと、「まずかった」のではないと思います。
確かに、子供の頃に食べた味でしたので。
子供の頃は、それが美味しかったのです。
対して、大人になると、それが美味しいと思えなくなった。
それだけです。

僕は、日常的にねるねるねるねを食べません。
子供の頃は、ねるねるねるねを食べられないことがストレスだったと思います。
今は、食べないことがストレスではありません。
なぜなら、食べたいという欲求がゼロだからです。


ストレスとは、「理想の状態と現状との差分」によって産まれるものだと思います。
これを無くす方法は、シンプルに考えて2つです。
現状を理想に近づけていくか、理想を現状に近づけていくかです。
そして、人間は、さきほどのねるねるねるねの例に上げたとおり、好きなものは、時間とともに変わっていきます。
理想の状態を、よりライトでイージーで達成度が低いものに近づけていき、近似値的にゼロとみなせるくらいすべての理想が現状に重なった時。
つまり、欲を完全に捨て去ることができた時。

僕は、完全無欠の自由を感じることができるかもしれません。


うーん、でも、完全無欠の自由という理想を掲げている時点で、なかなかライトでイージーではない理想を掲げているような気もしますけども。

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