矯正視力1.5の適応力と習慣

2016年2月のこと。
数年ぶりにコンタクトレンズをつけたときの話です。

さらにさかのぼり、生まれてはじめてコンタクトレンズをつけたのは、大学1年のとき。つまり西暦2000年です。
そこから2007年までの7年間、メガネは使わずにコンタクトだけで生活してきました。

2007年から仕事の都合で自宅でのPC作業が増えたことにより、目が疲れないようにとメガネをかけはじめました。

そして、2016年、どうしてもコンタクトが必要になり、9年ぶりにコンタクトを目に入れました。

新宿駅近くのショップで視力テストをして、そのまま購入。
せっかくなのでと、レンズを装着したまま店を出て、久しぶりに顔面に異物がない状態で街を歩けるぜと、ウキウキした気持ちでビルから外に出た瞬間です。

僕は愕然としました。
新宿の街にそびえ立つビル街が、地面に対して曲がって立ち並んでいたのです。

僕は一瞬、何が起こったのかわからず、世界の次元が歪んだのかとすら思いました。
その後、目に見える風景をじっくりと確認していくと、原因は自分の目にあることがわかりました。

視野の端が歪んで見えていたのです。

もちろん、眼球に対するレンズの曲面で考えると、より裸眼に近い歪み率で見れるのはコンタクトであり、むしろ今までメガネをかけて見ていた視野の端の方が歪んでいたはずです。
なのに、コンタクトをつけている今のほうが、歪んで見えている。

本来、いま見えている世界が正しいはずなのに、メガネを通して歪んだ世界の中だけで生きてきたので、当たり前のようにそちらが正しいことになっているということです。

さらには、その後です。
無意識のうちに、右手人差し指でメガネのフレームをずり上げる動きをしてしまい、空中をスカッと空振りをするという動きを、何度も何度も繰り返してしまいました。

ここで、ふと気付きました。
この一連の動きは、メガネのズレを直すためではなく、ただなんとなく惰性でやっていただけなのだと。
今まで何千回、何万回と繰り返してきたこの動きのほとんどは、無駄だったわけです。

人間の適応能力、そして習慣の凄さ。そして、怖さ。

何を為すにも、人間がもともと生まれながらに備えてある現状維持機能が味方となり、同時に敵となるということを目の当たりした、
矯正視力1.5の当時の僕でした。

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