意識の範囲(地理的な意味で)

僕はいま、仕事を通して「田川を音楽で元気にする」という活動をやってるんですが、
ずっと自分自身で疑問に思うことがありました。
それは、範囲の括りをなぜ「田川」にしたのかということです。
一応説明しますと、田川というのは、田川市と田川郡(6町1村)をあわせた地域のことをさします。

いいかねPaletteがあるこの場所は、
地球 の中の、
アジア だし、
日本 だし、
西日本 だし、
九州 だし、
福岡 だし、
筑豊 だし、
田川 だし、
田川市 だし、
猪位金 だし、
猪国 です。

そのなかで、僕は「田川」という範囲を選択していることになります。

実際に直接業務委託を受けているのは田川市なんですが、
「田川市」よりひとつ大きい括りである、「田川」という範囲を強く意識してます。

これが、なぜ一つ小さい「田川市」でもなく、一つ大きい「筑豊」でもなく、「田川」なのか。自分の中で疑問に思っていました。

理由としてまず一つ目に挙げられるのは、
「僕が田川郡川崎町で産まれて、中学生の時に田川市に引っ越したからだ」
というものです。
しかし、理由はどうもこれだけではないような気がしていて、ずっとモヤモヤしていました。


そんな中、先日ある人と話していて、その大きな要因となるひとつの答えがわかりました。
それは、

人に対して「田川っぽい人」というイメージが存在するから

…です。

田川の人って、なんか、田川っぽいんです。田川臭がします。
もちろん、なんとなーく「田川市っぽい」とか「(田川郡)川崎町っぽい」とかはあります。
でも、やっぱり、
「田川っぽい」と「田川っぽくない」の溝は結構大きい気がします。
そして、この「田川っぽい」人が、いいところもわるいところも含めて、僕は結構好きなんだと思います。

自分に対する疑問がひとつ解けたので、ちょっと嬉しかったです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です